いつでも無心
月と雑踏
この時期は、朝、材木座の海にっても真っ暗さ。
そんななか月のロードが導いてくれる時は、
気分がダダ上がりだよーん。
光の道に沿ってボードを風に乗せて走らせていく。
だーれもいない海で!至福も極限だよね。
そんな時って、「無」、何も考えていないし考えようともしないよ。この状態ってゾーンの状態で最高なのね。
でもこんなシチュエーションってそうそう無いよね。
そこでその対極を考えてみたんだ。
さしずめ「雑踏」の中というところかな。うわーって感情が先に来ちゃうだろうけれど
こういう時にこそ人工的に「無」に持っていければ、人生はそこそこそこうまくいく。
月あかりの「無」を自然の無、雑踏の「無」を人工の無とした場合、
潜在意識がどちらだか区別がつかなくなるようにトレーニングしておけば、結構良い線イッチャウ。
オイラもこのテクニックを完全に習得できているわけじゃあ全く無いんだけれどさ、意識して「無」の状態に持っていくようにはしているよ。
「無」が→「夢」につなぎ、閃光を放つことは歴史が証明済だよ。
いつでも無心。
これこそ極意と断言できるのさ!
「月と雑踏」へのコメント
デスネ
そう思います
無」が→「夢」につなぎ、閃光を放つことは歴史が証明済だよ。
雑踏はイヤ 田舎がすき
潜在意識がどちらだか区別がつかなくなるようにトレーニングしておけば、結構良い線イッチャウ。
ほほー--
「無」が→「夢」につなぎ、閃光を放つ
月が綺麗
雑踏も文化だと思う
人工的に「無」に持っていければ、人生はそこそこそこうまくいく そこが技術!
無 素晴らしき 一文字
こういう哲学的な一面がオイブロの真骨頂ですよ。
海と月の流れが無になっていく
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2022年12月11日
月の道だ