SY牧場のゆーこです。わたしもさおりんも、数学博士の半生に感動してしまいます。私自身には 程遠い学問ですけれど、真摯な姿がいいです。この点、オイラと同じ感性です。私も卒論というと苦い思い出ばかりです。
ジョン・ナシュ博士のこと
先月23日に交通事故で夫婦とも不慮の死を遂げたジョン・ナシュ博士のことを、書くね。
ジョン・ナシュ博士は天才数学者なんだ、事故に遭ったきも 数学のノーベル賞的存在であるアーベル賞を受賞したその授与式の帰りだったんだよ。
(アーベル賞はノーベル賞と同じく賞金が1億円なので有名だけれど、数学界では フィールズ賞の方が圧倒的に憧憬の的になっている)
ただし、ジョン・ナシュ博士は経済学でノーベル賞を受賞しているから、もうとんでもない天才なんだけれど・・・
ジョン・ナシュ博士を一躍オイラたち凡人が知れ渡ることになるのは、本人の自叙伝的映画「ビューティフル・マインド」によるところが大だよね。
ラッセル・クロウ主演でアカデミー賞4部門を受賞したGOOD作品だよ。
精神分裂病(統合失調症)である博士は、幻覚の中で生きているんだよ。
それでも、数学の天才なのでプリンストン大学院の数学科に入学するんだ。数学界最大の難問のひとつ リーマン予想に没頭し、それが分裂症の原因になったとも言われているよ。
博士は「この世の全てを支配できる理論を見つけ出したい」というアインシュタイン博士みたいなことをいいだして、その数式の発見に没頭するんだ。
その過程で産まれたのが「ゲームの理論」というその後の経済学を席捲することになる理論なんだ。
この理論の中のナッシュ均衡という理論を知らない経済学部の学生は皆無だと思うョ。 それぐらいスタンダーになっている理論だもの。
ここでジョン・ナシュ博士のことを取り上げたのは、訳があるんだ。 オイラのK大経済学部の卒論がこの「ゲームの理論」の実践的応用だったので、もう何冊もナッシュ博士の本を読んだもの。
この理論は、米国のMBAコースでも、未だに多くの時間をかけて研究するってキイテイルヨ。
経済は生き物で予想不可能でしょう。 だからスタンダードになる理論ってそう多くはないんだ。
卒論で散々苦しめられたオイラなので、ジョン・ナシュ博士には 「もーこんな 理論、発見するからオイラが苦しめられてるんやー」とヤツあたりしたくなったときもあるよ。
それでも映画「ビューティフル・マインド」を観るまでは、博士が、精神分裂病としてどれだけ苦しんだかなんて知る由もなかったんだ。
プリンストン大学からも、病気が公になってからは、煙たっがられていた。 それでも、全てを理解した妻の絶対的支えで、なんとか生き抜いていく。
プリンストン大学では、学食で心から敬愛する教授に、同じ教授陣が、一人づつ万年筆を贈る伝統があるんだ。
もちろんそんな教授は極、限られているんだけれど、 あるとき ナッシュ教授は、思いがけなくみんなから、
「ジョン、君はサイコーだ」なんて言われてその万年筆を贈られるんだ。
この、シーンね、うんうん、何度観ても素晴らしい。
ノーベル経済学賞の受賞スピーチでは、妻のアリシアにむけて「今夜私があるのはー君のお陰だ 君がいて 私がある ありがとう」と行って結ぶのね。
天才的な頭脳を持つ一方、変わり者、キチガイと言われた夫を支え続けたアリシア、苦難の人生は彼女そのものだった。
普段、気の利いたことなんて言えないジョン・ナッシュが、アリシアに向けて云った感謝の言葉だった。
それにしても、その場所がストックホルムの受賞式壇上っていうのはねーー不器用だけれどいいよなー。 ワンダフル、ビューティフルだよ。
不運は、幸福とは比較にならないほど、人間にはよく似合っているしね。
人はみな、神や人類を満足させる為に、ときには愚かさの生け贄にならなければいけない。
「無限なものはふたつ、あります。宇宙と人間の愚かさ。前者については断言できませんが・・。」
アルバート・アインシュタイン
ジョンナシュ博士もアインシュタイン博士も、服装とか外見に無頓着なんだよね。
そこがまたオイラを惹き付けるんだよな。
飾る必要なんてないくらい没頭しろって! ね!
「ジョン・ナシュ博士のこと」へのコメント
ジョン・ナシュ博士が登場 彼は ゲームの理論を推し進めた経済学者として 有名になり それ以後経済学部の必須として数学理論を理解できないと 皆目意味不明の学問に変遷していったように記憶している 文科系が 理科系の学問に変わり 理科系の学生も経済学部に出はいりするようになったように推測。
数学者の日常生活は 映画になると本当の彼等の世界とは全く別の世界として描かれる 困ったことだ。
数学の教授は 文学や 科学を研究している研究者とは物凄く異次元の世界に生きている 一般人にはきっと解からない 世界空間に入り込んでおり 数式を眺め 美しいですね と 呟く姿は全く理解できなかった。
理論物理もそれと似た世界にいる。 だから 一般人が想定しえない 世界を描けなければ 仲間では無い。
昔の奈良女子大の岡潔博士もそんな人だった。 難問にぶち当たると 紙と鉛筆を枕元に置いて 仮眠をする (睡眠状態で も頭の中で難問の整理をしヒントが浮かぶと)目が覚め メモに書いておられた姿を思い出す ついてはいけなかった。
中高時代から大学まで オイラの記憶に鮮明に残っている 数学と 物理 化学の教師の共通点は チョーク1本手にして 黒板に式を書きながら 素晴らしいですね 美しいですねの呟きが途切れなく聞こえていた。
試験だって 発想の是非を問われるのが原点で 点数がどうという会話をした覚えはない。
一般から見れば 変わり者 家庭を覗いた事はないけれども
(MAC とWINでは ブログが見れる時間にずれがある)
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2015年6月16日
数学者の話、わたしも惹きつけられます。
あの孤独感がとても愛しく思えるのです。