SY牧場のゆーこです。 さゆりんに先を越されてスネテいます(微笑) フェルメールは (真珠の首飾りの女?)でしたっけ、それしか知らないです。 今回 天文学者を知るコトができました。博学なわたしです(微微笑) 美術とか星座とかに詳しいっていいですよね。世界が広がる気持ちにスイッチが入ります。
ルーブルの風
行きつけの、国立新美術館にフェルメールの
《天文学者》が来ているので行ってきた。
フェルメールは日本でもとても人気のあるオランダの画家だけれど、作品は30数点しか残されていないんだよ。
その中でも、男性が主役なのはこれ1点で、超レアだよ。
右手で触っているのが「天球儀」で、星が描かれているんだ。
これは、地球儀じゃあないからねー! 面白いのはこの天文学者が着ているものね。 これは 「日本の上着」と呼ばれているものでね、着物を西洋人用にアレンジしたもの・・・裕福な人たちに大人気だったんだよー!
次はティッツアーノ《鏡の前の女》 ・・・当時ヴェネチアでは、「理想の女性像」を書くことが流行していたんだ。
16世紀のことだよ。
「金髪に輝く豊かな髪」「大理石のような白い肌」「女性らしいふくよかなカラダつき」「ルビーのような赤い唇」・・・
この辺がポイントだったみたいね。
ちなみに女性が右手で束ねている髪の毛は毛先に方が明るいでしょう。
この時代の女性にも金髪への憧れがあって苦労して色を抜いていたらしいのね。 (^^;)
もういっちょー! これが一番有名かな、ムリーニョの《蚤をとる少年》・・・・
作者のムリーニョがいたのは、スペインの貧しい都市 セビーリャだよ。
当時は親も家もない、物乞いの少年が路上で暮らしていたんだ。 この子もみなしごだと思われる。 デモ不思議と、暗い気持ちにならないでしょう。
むしろ ホッコリする。 差し込む光が、どことなくアンニュイでドラマティクな効果を出している。
他にも、シャルダンの《猫の画家》や、マセイスの《両替商とその妻》など、名画がどっちゃり、ルーブルからやってきているよ!
フェルメールに関してもうちょっと付け加えるとね、肖像画が一枚も無いんだ。
オランダの港町に宿屋のことして生まれ22才の時に画家になった。 43才で無くなるまでの生涯は謎なんだ。
シュールレアリスムスの巨匠 サルバドール・ダリは特にフェルメールに心酔した画家のひとりで、フェルメールを称して
「言葉がまったく無力になる奇跡に達した」と・・・。
フェルメールといえば、フェルメール・ブルーといわれるほど、 ウルトラマリンブルーを必ずといっていいほど作品のキーポイントにつかってくるんだ。
《天文学者》にも使われてまっせー!
「 成功の80%はその場に姿を現すことだ」
とにかく現場とか現物を見るクセって大切だと思うのね!
世界には言葉にできないことの方が、言葉にできることよりずっと多い。 そういうことは体験するしかない。
で、そんなふうに言葉になっていないとうことは、ネットにも出てないからねー。
だからこそ、一番貴重な情報になりうる可能性を秘めているんだ。
貴重な情報はいつだって、現場とか現物にひもづいているもの。
腕組みしてうなっても、なーんもわかんないよ。
「ルーブルの風」へのコメント
此の処 早稲田文学の研究生として 国立新美術館通いですか
美術品等は 一人で出かけ 時間をかけて 作品と対峙して いる時の 楽しさは また格別 解説は不要 画家とその作品と心の中で会話している 至福の時はない。 そして 国立新美術館の中のレストランで限定数の食事をする 心の休まる時間
長後からは 少し遠いですが 気にならない 距離になってしまう
不思議な力が そこにはある。
今は 宇宙小僧は お休みか? 来月日本人の宇宙飛行士が 旅に出かけるよ….
いつも、楽しく拝見しています。還暦まじかのわたくしには、刺激が、強いオイラブログですが、ドラマのような、展開が、パソコンを開く楽しみになっています。
「 成功の80%はその場に姿を現すことだ」
この言葉は、出不精の僕には痛いです。
僕は法政大学で法律を勉強しています。
六法と図書館で心中しそうなときに、美術書を眺めては、息を吹き返しています。
でもその絵画のエピソードとかバックグラウンドは知る由もありません。
ブログでの解説 ほっと一息つけます。オイラトハまったく道は違いますが僕は法曹界で懸命にやります。
早速、ルーブル展 行ってきました!
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2015年4月30日
はじめまして、いつもコメントしているゆーこの友達のさゆりんこと、さゆりです。ゆーこさん流に登場すると、
-SY牧場のさゆりです。というところでしょうか(笑・笑)-
(貴重な情報はいつだって、現場とか現物にひもづいているもの)
確かにその通りです。 インターネットが普及してから、何かと手元で済ませてしまおうとする 私自身への警鐘と受け取りました。
Sayuri