パリで開花した Kuroda Seiki
日本人が描いた ”完璧な西洋画”
ー フランス留学中に描いた人物画の傑作。
モデルは恋人だったマリア。
室内はやわらかな光につつまれている。
この作品はフランスのサロンに出品され入選を果たす。
黒田清輝は、日本における洋画アカデミーを確立した張本人だ。
黒田以降、 洋画家は 「絵描き」から、「画伯」と呼ばれるようになった。 職人から芸術家へと社会の認識を変えたのが黒田だった。
早稲田の研究レポの関係で 「黒田記念館」にワープだよ。
今年に入ってからW大にかかりっきり・・・頭痛くなってきた。
それでも黒田の作品はわりと好きな方なので、
以前の仏像レポと違って今回は結構楽しい。
「名画といわれる程のものは、その作者の意見や、目的が充分に現れている」というのが、黒田の口癖だった。
黒田の作品は 愛する女性像を描いたものはすごーくいいいんだけれど、そうでないものは、まるでダメだ。
もちろんこれは、オイラの独断的感想なんだけれどね。
美術は、個人個人受け止め片が違うから面白いので、正解はないんだ。
オイラはこう思う。 あなたはそう感じる。で,おしまい。
黒田の技法の特徴は 「外光派」といって、明るい光を巧みに絵の中に浮き出させる方法なんだけれどさ、実際はそんなことはどーでもよくて
・・・・・・・ 好きな女性と一緒に居るときが最高だったんだなーって思うだけね。
その単純さがいいよなー!
好きなことをして生きないのは、一種の責任逃れ。
黒田清輝は面と向かっているもの。
よく、人生を楽しもう? って無責任なセミナー講師みたいなのが言うけれど、そんなにうまくは事は運ばない。
人生を楽しむというのは、結局は矛盾を楽しむということ。
「なんでこうなるの?」というのが、まあ面白いわけだ。
大切なのは、人があなたをどう見るかではなく、あなたがあなたをどうみるか。
あなたは、誰かのように生きなくていい。
あなたが「いい感じ」なら、それに勝るものはないんだもん。
勝ち負けにこだわるのは、他人の目で自分の価値を計ろうとしているからだって気づく。
自分で考えて、自分で選んで、自分で行動して、自分で評価する。
不思議なもので、これをくり返すと、人に何を言われても、へーっちゃらになるね。
黒田の側にいた親しい女性は、
「黒田はいつも問題を抱えて、散歩していた」といっている。
これってどういうことなんだろう?
そもそも、問題は解決しなくてはいけないものだろうか?
大事にしてはいけないものだろうか?
問題のひとつやふたつ、10や20は、持ったまま散歩もできるし、飯だって食える。
ネットだってできるし、笑うことも、泣くことも、
恋愛も失恋も、できる、できる。
オイラにとって問題も、あなたにとってみれば、
「なんだそれくらい」って事かも知れない。
結局、問題なんて何も無いのかも知れない。
終わりなんてものだってない。
あるのは いつも、始まりだけ・・・・・・・・。
風がオイラの頬を殴っていった。 いいパンチだ(*^_^*)
「パリで開花した Kuroda Seiki 」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2015年3月22日
理系と違い 文系の発想は オイラには怪奇?
だって 師匠の今回のブログで『自分で考えて、自分で選んで、自分で行動して、自分で評価する。』
これなんか 理系では誰も納得しない。
自己陶酔にどっぷりつかってしまわないと 生きていけないのが 文系の 特徴なんだろうか?
だったら 師匠は 何者なんだ? 妖怪かもしれない。
レッキとした 『歯科医師』『公認 星空案内人』
しかしながら 文系の各国の言葉の使用達人』之即ち 妖怪…..