オイラは、何時に行ったんですか
しおりも、行ったんだよ びっくりだー
しおりは 3時に行ったの
もしかしたら 同じ空間にいたのかもしれないですねー
F-1 それは、
キャストのミカから情報を得て、
横浜そごう 「F-1 展」にイッテキタヨ。
あまり知られていないんだけれど、 オイラは 2つの「F」が、さりげなく好きなんだ。
そのひとつがF-1で過去にアイルトンセナのことを2回ブログにしているよ。
もうひとつはいずれね・・
自分の結婚式の時に、入場曲を T-Squareの
「Truth」(F-1のテーマ曲)にしちゃったくらいにしてね。
今回、実物大のレプリカが展示されていたんだけれど、
コックピットせまいなー・・オイラじゃあ入らないよ。
パンダは乗れないってことだね。
F-1ほど 「生と死」の境目にいるスポーツは他にない。
フォーミュラ・ワンの世界は、常人では絶対に入っていけない。
クルマ運転する人なら、わかるでしょう・・速度はコースによってもちがうけれど、平均300km/hだよ。
ライコネンがモンツア出だしたのは最高速370km/hだし、非公式なら BAR HONDAが400km/hオーバーを記録している。
そもそも コーナー(カーブのこと)を280km/hとかでツッコムって あり得なさすぎでしょう!
3分間一度も瞬きしない技術が絶対条件だ。 過酷過ぎる。
今回の「F-1 展」は、暫く F-1をお休みしていたHONDAが今期から帰ってくるというので、企画されたものだよ。
うれしいねー!
確かに 恐ろしくお金がかかるのがフォーミュラ・ワンの世界の世界なのだけれど、
HONDAは、本田宗一郎の精神を継承しなくては、ただの板金やだよ。 是非、やっちゃてくれー!
それにしてもF-1マシンというのは いかなる角度から見ても美しいんだね。どうにもこうにもカッコいい。
「2位になるのは、敗者のトップになるということ。 状況がどうあれ2位や3位じゃあ満足できない」言ったセナは勝ち続けた。
「もし自分が生きるんだったら、思う存分、密度の濃い生き方をしたい。そうじゃあないと人生が台無しになってしまう。
だから僕はひどいケガをして病院で唸っているのも好きじゃあない。
もし、事故で命を失うようなことになるんだったら、一瞬で終わらせて欲しい」
1994年5月1日・・セナはサンマリノGPにて事故死 (享年34才)・・・・
ホントに人生いろいろだよね。
決して長ければいいってもんじゃあない。だからといって短ければいいってもんでもない。
しかし F-1パイロットって、例外なく全員カッコいいんだよな。
日本人 F-1パイロットの佐藤琢磨は、彼の信条が
オイラの多用する
[ No Attack No Chance ]
なので 特に応援しているんだよね。
佐藤琢磨ってひとも、異色でさ、20才で早稲田を中退して、
自転車からはじめて、そこで実績を積んで
F-1より遥かに格下のF-3に参戦し、そこで優勝するまでになって、25才でF-1パイロットになったんだ。
これまた、嘘でしょう??
というくらいのスピード出世だよ。
とにかく、デキル挑戦はすべてした、と言っているし、
そのときの佐藤は
「いくらスタートが遅くともF-1 には 行く」
と言い切っていた。
まったく どういう人生だよ。
自転車からF-1って なんなんだ・・・・でも楽しそうだよね!
すんばんらしい、こういうパイロットたちのバックグラウンドから、
パンチをもらうのもF-1ならではの魅力だよ。
オイラが、ガツンとやられたのは、ロバート・クビサのあまりにもシンプルなひとこと。
「レース哲学? 可能な限り速く走る、それだけさ」
世の中が、複雑になるに順応して、オイラ自身も 複雑に理由づけをしているようなんだ。
でも、実際の真理っていたってシンプルなものだ。
「可能な限り速く走る」
・・・そういうことだ。
「F-1 それは、」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2015年3月10日
命を懸けた世界は 『男のロマンの世界』頭で理解できても 飛び込む勇気は 一握りの 人間 。 理屈をこねる種類の人間には とても飛び込める世界ではない 生きるか死ぬかの選択肢は2つ。
出来る? 中間が ないというのは 悲しいね。 F1レースの観客は その中間層かもしれない。
キャストの『ミカ』さん 怖いね 間違っても レーサーにさせないでください でも 自分の人生他人がどうこういうものでもないし……
松下幸之助の孫もF1のレーサーだったよね?