ホメオスタシス
さてさて、そろそろ今年の診療も終わりに近づいているナー
それでは、最近、オイラが感じてる お題をひとつ・・
それはホメオスタシス(*^_^*)
ホメオスタシスというのは、
生物学では「生体恒常性」と訳される。
体温や体重が毎日急激に上下することがないのは、ホメオスタシスの影響だ。
要は「人間は放っておくと、現状維持しようとする機能が働く」ということなんだ。
たとえば、ボディービルダーたちは、限界を超えた肉体を創りあげるために、ホメオスタシスを超えていく。
そして、このホメオスタシス機能が働いて自分が楽でいられる状態の範囲のことを、「コンフォート・ゾーン」と呼ぶ。
これを、学生時代に当てはめててみるよ。
いつも、30点しかとれない、劣等生が、たまたま、80点を獲得すると、ウレシイにはちがいないんだろうけど、どーにも違和感があって、ダラケテてしまい、次のテストでは、また低位置の30点当たりに戻る。
それどころか、10点、20点になることもある。
その生徒にとっては、コンフォート・ゾーンが30点だから、均衡を保とうとするんだ。
反対に、いつも100点ばかりとっている優等生は、うっかり80点なんて獲得しようものなら、悔しくて猛勉強するので、次のテストではまた100点にもどる。
すべては 自分のコンフォート・ゾーンに落ち着くようになっているんだ。
そうね、もう気づいちゃったと思うけれど。もし、
夢の実現を、願うのなら、このコンフォート・ゾーンを、ずらしていく必要があるんだね。
「コンフォート・ゾーンをずらすには、なんでもいいから、暫定的なゴールを1つつくることから、スタート。重要なのはその達成までに必ず期限を設けることね!」
さっきの例で言うと、中間テストでは、40点に、期末テストでは50点に‥と言う具合。
ここで大切なのは時間についての考え方なんだなー!
時間というのは河の流れのようだよ。
「あなたが今いる地点を現在だとすると、あなたに向かって未来がどんどんやってきては、過去へと消えていっている」
河の中に立ってみてよ。
向こうから、もの凄い勢いで丸太が流れて来たとするじゃあない。
あっという間に穴との横を通り過ぎて後方へ流れ去るでしょう。
「時間は未来から現在過去へと勝手に流れて行っているんだ」
だから、明日に向かって走るとか、未来が無い、なんて言う表現は、実はオカシイのね。(オイラも良く使うけれど‥)
コッチは、無条件に迫ってくる「未来」を受け止められるだけの自分を養成しなくっちゃだめなんだ。
丸太が迫ってきたら、その丸太をガチで受け止められるように、ホメオスタシスをずらしておかなくちゃあ、ならないんだ。
でないと、ツマヨウジくらいしか、うけとめられないよ。
未来は勝手に流れている、過去を追っていたら、溺れちゃうよ。
オバマ大統領だって、村上春樹だって、オイラだって、世界中が全く同じく時間の流れに従う。
いつかは・・・なんて保留している場合じゃあないのが、
わかるでしょう、
だってドンドン勝手に流れちゃうんだもん。
気づいたときに、コンフォート・ゾーンの調整に入らないと、結局、死ぬまで保留しつづけることになる。
「ホメオスタシス」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2014年12月27日
師匠の ブログは 今日で今年の打ち止めなんて思えないのだが 一応世間の習慣(此れもコンフォート・ゾーンにぬくぬくと停滞している者の考えだろうが)で…
今年も、オイラの考え方行動規範を師匠のブログを読む事により
一段も二段も上のコンフォート・ゾーンへ導いて頂いたように思う
有難う御座いました。
こういっている間にも 未来はドンドン現在になり過去になって行っているのは事実だが
個々人の脳の働きや 思考、感性が皆同じ長さの時間で進行しているとはオイラは考えていない
全く違っていると信じている。 暦の上の あるいは 世界時計での時間を計測単位にするなら同じかもしれないが
地球上にはオイラが寝ている時に 起きて 仕事をしていたり勉強しているという事は ?
その上 地球自体斜めに傾き さらに歪んでいる
未来 現在 過去という順番が逆転する事はないという事だけは 師匠の仰る通りだろう 疑う予知がないかもしれないが
心の中 頭の中の時計は 全ての人が 異なっていると思う。
心の底から 同じ考え 同じ感性であれば 二人の人である必要性が無い。
夫々の人間が 個性があり 歩む道が違う様に
時の刻まれ方も違うと考えないと 隣に居る人 と自分との違いは何なのか?
但し このブログでの中心課題である『いつかは・・・なんて保留している場合では無い』『気づいた時にコンフォート・ゾーンの調整をしないと 死ぬまで保留』 時流に流されるだけという事だろう。
コンフォート・ゾーンの調整は 尋常な精神力では 替えられるものではない。必死という言葉がピッタリ来る世界のように思っている。
死んだ方が 気楽だと考えがちなのだが それは、とんでもない考えで心の歪みである事は 事実。
そのために 普段から 瞬間移動に対する 勇気と努力を続けることが 自己の人生を生きている 生きてきたといえるのではないか?