風と共に去りぬ
御存じ、マーガレット・ミッチェルの不朽の名作だよ。
宝塚歌劇団100周年のアニバーサリーツアーでメンバーが、神奈川県民ホールに参上だ!
もちろん クライアントのマイちゃんこと、「音咲いつき」ちゃんも、出演してるんだ。
エンドロールでは、神奈川県出身者として
特別に「いつきちゃん」の名前が呼ばれて紹介されてた。
なんだかとっても、嬉しかったな−!
巡業講演の良さなんだろうね、こーゆーのって!
今回は、ある種の取材が、オイラの課せられていたので、見方がいつものように「リラックスムード」ってわけには行かなかったんだけれど、カエッテ緊張感があってヨカッタかも(^^;)
スカーレット・オハラとレット・バトラーの心理ドラマは、
いつの時代でも、ハラハラするよ。
原名は
(Gone With the Wind)
「去りぬ」ということだけれど、意味は「去った」ということ、堀辰雄の「風立ちぬ」が「風が立った」の意であるのと同じで、日本語的には古語の由来なんだ。
アメリカ南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部の白人たちの貴族文化社会が「去った」ことを意味しているんだ。
エンディングの最後に、スカーレットが何もかも失い、泣き伏しながら紡ぎ出す、
「Tomorrow is another day」
は とってもよく知れ渡ったことばになった。
直訳すれば、「明日はまた別の日」 本の日本語訳では
「明日はまた明日の陽が照るのだから」映画の字幕では、「明日に望みを託して」となっている。そして広く広まっているのが、「明日は明日の風が吹く」 宝塚では「わたしには明日があるわ」みたいな表現だった。
それぞれ微妙にニュアンスが違うところがおもろいね・・
オイラだったらどうかなー、「明日は明日の風を起こせ」かな・・
待っていても何も起きないんだもんねー。
劇場パンフレットによると、「音咲いつき」ちゃんはこの「風と共に去りぬ」選抜メンバー33人に入ったとのことだ。(^^)/
レット・バトラーは、それこそモテ男のとしての役柄だ。
高倉健もそうだったけれど、モテる人の共通点は、
孤独でありながら、悲愴感が漂っていないことだと思うよ。
反対に誰からも好かれようと努力しているのに、誰からも嫌われてしまう人もいる。
心を伝える相手がひとりもいないから、いつも誰かと群がって淋しさを誤魔化している人がいる。
誰かと繋がっていないと不安になるのは、自分に自信の無から・・・・・ね
そもそも自信の無い人は自身に根拠を求めガチなんだ。
自身に根拠を求めはじめちゃうと。ますます自信は喪失されちゃうよ。
だってさー根拠は、人の目から見た客観的な評価で、どの世界でも上には必ず上が存在するもの。
だからね、こういうことだと思うョ。
「本物の自信とは圧倒的な勘違いのこと」だって!
圧倒的な勘違いとは、誰に何を言われようが、微動だにしない思い込みのことだよ。
圧倒的な勘違いこそ最強の自信になる。
スカーレット・オハラもレット・バトラーも、圧倒的な勘違い野郎のさんたるやだよ!
しかし圧倒的な勘違いをしている人だけが圧倒的な実績をのこしてきている・・・・・・。
さあ、 「オイラの明日はどんなだ?」・・・
『知るか!! お前が決めろよ!』・・・ってか(^^;)
「風と共に去りぬ」へのコメント
コメントを残す
カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2014年11月26日
オイラも圧倒的勘違いをしてもっと 自信を手に入れ楽しい人生の締め括りを迎えたい。 これなんか 並大抵の事では 身に付かないだろう??
圧倒的な実績なんて 残そうなんて 勘違いしていないから。
評価は、未来の人達がすることで、今の時代を生きている オイラには、何の意味もないから
こんな、生き方良いのかな?