苦しみの 生産工場

苦しみの 生産工場

P1030817.JPGKさんは、古くからのクライアントで、昭和オヤジそのまんまのナイスガイだ。
自分で陶芸のアトリエを持っていて、とてもシロウトには思えない作品をもって来てくれる。  
カッパの置物を作った人物と同じだよ。
 
今回も、ビール用、コーヒー用、お茶用の3つの作品をもらっちゃったんだ。 
オイラも、ちゃんと言われた通りに使い分けているんだなー、これが・・・   

   Kさんはいつも幸せそう(^^)/・・ 年齢はP1030827.JPG75だったかな・・
  キーワードは 「もう少々」      

なにか物事をするのに、「もう少々」がんばろう、 ここで満足する事なかれ・・という発想は精進という意味ではいいんだけれど、精進の意味合いを全く理解せず、 誤った方向にクビを突っ込むと恐るべき不幸が待っている。

それは 「欲、と怒りに基づいた  もう少々」のこと。
欲と怒りは決して満たせない火のようなもんんだ。

度が過ぎると脱法ハーブのようP1030825.JPGに常習性から抜けられないよ!   
  
たとえば、「うちの子はガンバッテいるんだけれど、もうちょっと成績が良ければな−」「もう少し旦那の給料が高ければナー」「もうちょっと小顔だったらなー」「もうちょっと家が広ければナー」
こういったのが、キーワードの「もう少々」ってやP1030911.JPGつだ!  

こんな風に思っちゃうから、今の自分の実際の状態に不満、不平。不幸を感じちゃうんだよ。
 これって どんな角度から見たって不幸な考え方でしょー。

 この考え方の人は、ずーーと 延々と永遠に「もう少々・・もう少々・・・」っていう地P1030820.JPG獄から抜け出せず死に神に捕まるんだ。
それで一生本当の幸福感・充実感・喜びを感じられないままで死んでいく。

「もう少々・」の 泥沼の方程式は、さらに泥梨(ないり)、インヘルノを導く・・・

「もう少しこうだったら」と思ったところで。「やはりああだからだ」「ここが足りない」「こうすればヨカッタのに」などと
次々と文句、後悔のどんよりな世界、そして反省の暗い世界が始まってしまう。

 「もうちょっとこうであれば」ということは、P1030909.JPG「今はダメだ」ということ、子どもが、一生懸命勉強して、算数のテストを90点で持って帰ったとしても、満点じゃなくてはダメだ! 
 例え満点でも、 学校のテストで満点なんて当たり前で、塾のテストで結果を出してこそ・・・みたいに、欲望には終わりがない・・
キリがないよ。
 
多くの人がこのコトで悩んでいる。 苦しんでいる。 
まさに苦しみの生産工場・・・
  いくらお金があってもこの「もう少々・・・」に取り憑かれるとキリがない。これって心のガンだ。
 
P1030913.JPGお母さんが子育てで忙しい。
「もうちょっと時間があればな」ってつい思っちゃう。
「時間があれば、これもできる、あれもできる」
「なんで旦那はもっと子どものめんどうみてくれないのさー」なんてずーーと思い続けているんだね。 

それでもって やっと時間ができたときには、
「あーもう少し若かったら、あれもこれもできたのにー」となっちゃうんだ。 いつでもそうやって 延々と
 「もう少々」の奈落のシステムを続けるんだな。
 
 Kさんは、作品をもって来てくれるときも、 「良いのができたんで、もってきたよー」と笑顔だ、
それでも、次は、なんとかという、色を出したいP1030917.JPGけれど、どうも難しいなんて決して精進を怠らない。

 決定的なのは、家族やお孫さんののことを
「十分だ十分だ、たいしたもん」といってよく誉めるんだ。  外部から見れば、たいしたもんというより、まあ普通なんだけれど、
これはいいなーって思うんだよね!   

 Kさんとは付き合いも長いけれど、誰かと比較して、妬んだり、批判したりしたのをただの一度も聞いたことがないもの。  
苦痛は根絶できない。それでも苦痛の量は自分の中の
「もう少々」を減らしていけば減っていくP1030912.JPG
苦痛を理解すれば、減らすことはできるってわけだよね。
 もらった碧の器でビールを飲むと 
そんなKさんのナイスな人柄に触れることができるんだ。   

もちろん そりゃー とびっきりに美味しいョ!   
 

「苦しみの 生産工場」へのコメント

最初の方を読んでいて これは何時もの師匠と方向が違うのではないか? 
ナイスガイのKさんからの 作品を 頂く時 
Kさんの『もう少々』という言葉に 
他の人が使う意味合いと大きく違う事を説明されている。ここで オイラは ハット気付いた。
普通は、いい訳の言葉として使い その条件がなくなっても 少しも 目的の事を成し遂げない多くの人がいる。
 その人たちは 原因を相手にあるようにいうが
 条件がなくなっても今度は目標を実行する苦しみから逃げるだけではないか。
Kさんの『もう少々』の言葉には 次ぎへの努力がみなぎっており 前進の宣言!
師匠も インプラントの手術が終わったあと『パーフェクト』といわれるが 
術前に 頭の中でシュミレーションを繰り返し 当日手術を自己の台本どうりに完了したときに 言われているのだと思う。
でも、師匠にとっては 『パーフェクト』でない 改善項目を認知されているかもしれない 終わりなき 進歩への戦い 前進への 努力。
 
山手学院の江守先生の言葉が 聞こえているのかもしれない。
 

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2014年10月26日

         

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