京都の向こう側〜後編〜
坂本龍馬というと、オイラの弟のヤッチャンが狂気的と言うくらいのファンで、子どもの名前も龍馬とつけそうになっていたし、音楽も当時は海援隊しか聴かなかったもんな。
龍馬を追って四国にもひとり旅してたよ。
そんなわけで城戸家では龍馬=ヤッチャン、だっとのでオイラは蚊帳の外だったんだ。
そんなオイラでも、のちに龍馬の妻となった おりょう さんの「寺田屋の龍馬を救ったお風呂のエピソード」
は知っていたので、まさかそのお風呂が、あるなんてずいぶん嬉しいジャンね(^^)/
さーてと、いよいよ おおとりは伏見の
《京セラ ヘッドクオーターズ》(京セラ本社)だ!
京セラグループは稲盛会長が一代で築いた巨大コンツェルン。
欧米企業のマネをして合理主義の拝金第一に走る企業が多発する中で、独自の理念により社会貢献に重きを置き認知されてきた、
たぐい稀なる企業といっていい。
オイラは稲盛会長は日本一の経営トップだと確信しているよ。
慶大・経済の教授も、「京セラグループのアメーバー経営は世界的に注目されている」と自慢してたもんなー 」
稲盛会長の「生き方」という本にはとても影響を受けたよ。(実はこの本、盛和会メンバーだったツカちゃんから貰ったものなんだけれどね)
京都賞を始め、教育・学術・芸術と幅広いバックアップが世界的に有名なんだ。
すでに、京大の稲盛財団記念館の建築物の大きさにガッツーんとやられたオイラだったけれど、やはり本社をひと目、遠くからでも「みておこーぜ」ってことで行ったら、
タクシーの運転手さん、本社の入り口にクルマ横付けするんだよね。
おまけに 「中に入ってきたらいいじゃあないですかー」なんて言うんだよねー!
怪しい人たちになってしまうのではないかと、おもいきや なんと歓迎された・・(^^)/
どうやら、 オイラ達のように稲盛会長を慕うひとがゴッソリくるので、招き入れるスペースが1階と2階のツーフロアーに確保されているんだ。
そのスペースには 京セラが京都にこだわり 社名が「京都セラミック」から始まり、現在のように宇宙事業にまで発展していく歴史を一目瞭然となるようにセッティングされているんだ。
そして展示物の間に このブログトップ↑ で掲げたように、会長の言葉が出てくるんだ。(成功するまで諦めない・・・・・・・・・・・・・・)
うーーん、何度聞かされても、
実績で証明しているだけに重い重い!! 実際現実にしてるからなー
ビルの一階は美術館にもなっていて、
ふつーの感覚でピカソや東山魁夷が挨拶しtれくれたよ(^^;)
外に出て、本社ビルをカメラにオサメヨウとしていると、横からツカちゃんが笑いながらチャカしてきた。
「きーーーちゃん、無理だよ、はいるわけねーじゃあん」
帰りの「のぞみ」は友と駅弁とビール! 乾杯だ。
最高のOK牧場だったぜい!
京都には、オイラをグイグイ引っ張っていってくれる見えない力がある。
生きること、吹きつける雨に濡れること、
みんな愉しい、
この感覚で もうちょっと
生きてゆきたい。
「京都の向こう側〜後編〜」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2014年9月15日
『京都の向こう側の続編』 愉しく 読ませていただきました
自然界の変化と タクシーの運転手さんに助けられたOK牧場 京都編という感じだけれど
O先生の意向が 師匠にも新しい事の 発見につながっている雰囲気が感じられる。
京セラ本社見学は 宇宙小僧と自認する師匠に こんな処にセラミックが. という事を発見されたのでは?
『成功するまであきらめない』この言葉は 師匠の背中を押すだけでなく 強い力を得たのでは
長い歴史のある街 上方と自負する 地域 東大に対抗する独自の雰囲気を作った先輩たち
これらの空気を一杯吸い込んできた 超ハードなスケジュールの中邁進する日常生活は
あたかも 新幹線に乗って外の景色を見る感覚でなく 新幹線の中に存在する 自己だけが見えたのではないか(相対的に比較し 自己評価する事の無意味さを悟った旅かな?)
オイラは、うらやましいのではなく 特異ではなく 当たり前にこなされている 人生に 再感動
師匠の『オイラブログ』を読んでいる者だけが 味わえる世界
O先生のブログも 一読する価値あり。