寺子屋、死せず
よじれた金網を、当たり前に飛び越えて硬い歩道を駆け抜けていく、コンクリートに転がっては、
その冷たい感じに大人への憧れを感じていた。
そんな少年時代のオイラに「人間の基礎を」教わったと思える場所がある。「山の学校」と言う呼称でかなり以前にもオイラブログにも脇役で登場したことがあるよ。
その山の学校 「一心寮」の本拠地が小田原にある「はじめ塾」だった。これは私塾でまさに寺子屋そのもの。
オイラは、イノパンや、カオパンや、弟のパーマン2号のヤッチャンなどと「一心寮」で優しい風に吹かれながら夏休みを過ごしたよ。 女の子も行けるんだ。
仲間ではフジコちゃんが行ってたもんな。
この記事が目に飛び込んできた。これはOK牧場の時に毎月ツカちゃんからもらっている会員限定の雑誌なんだけれどね、これに特集されていたんだ、
「はじめ塾」がだよ。「おおおおおォォォ」って唇、尖らせちゃったよ。
まずこの雑誌に載ったことが嬉しいし、現在三代目でイキイキとインタビューに答えている塾長の姿にも熱いものを・・・・・・。
オイラ達が師事したのは初代の和田重正先生だけれど、今は三代目で正宏先生が先頭に立っている。
入塾条件はなくて「私とウマが合うことが重要かな」というのは的を得ているなって思うよ。24時間一緒の寄宿舎生活で、机上の勉強よりも、「生活を通して、その子供がその子らしく、自分のチカラを発揮して幸せに生きていけることを一番の目的にしている」・・・
不登校の子が多く集まってくるのは昔からだけれど、オイラの時代にも、なんで不登校から上智とか入れるんだろう?って思った記憶があるんだ。(実はオイラ、高校の寮で先輩とうまくいかなくて、イジメラレテ、不登校期間があったんだ、そのときも山の学校にいってた)
(みんな不登校だから違和感のない丹沢の山だったなー気持ちいい土の匂いだったナー^^)
結果的にここを出た子が毎年、有名大学に入っていくが、それはもともとの目的では無い、と言うのは本音だと思うョ。
因みに、現小田原市長(京都大学卒)も、ここ
「はじめ塾」出身だ。
この塾の方針はただひとつ「教育のやり過ぎはしてはイケナイ」という先代の方針を貫くこと。
現塾長・正宏先生は言う。「子供から『先生のおかげで』、って言われたら、もうそれでその教育はし過ぎだと。その子が一人で生きていけるように成るためには、自分のチカラでそれを成し遂げたという実感を持つことが大切なんです。もちろんずっと後になって、はじめ塾でお世話に成ったから今があると述懷してくれる分にはいいけれど、目の前でそれを言わせるところまで手を掛けてはいけないと」
正宏先生は、大学を出て、3年間教員をやった。けれど学校というところは平等でなくてはならない。子供達ひとりひとりが違っているのに、無理矢理、平らに等しくしなくては成らない。
理解の遅い子に、時間を割けば、デキル子の親から、なんでうちの子には・・となる。 理解の早い子には必要の無い時間だと言っても通じない、皆同じでなければいけない世界だった。
そして 子供にいま必要なのは、「主人公」意識だという。 たとえリーダーを務めていなくても、そこで自分の役割を全うすることも主人公意識だ。物事に主体的に関わっていくということ。
オイラはこの三代目の先生のことは知らないのだけれど、八十年続くこの塾の幹は全くかわっていない。
今でも、イノパンやカオパンと飲むと必ず、「はじめ塾」の塾歌をビール片手に♪パクパク
今も、あどけない可愛さを保つフジコちゃんもクリニックに来るとつい話が弾むよ! 一緒に書道やってたのに、フジコちゃんだけ上手になったしなー。
「あの時があるから今が・・」と言える私塾は「はじめ塾」以外にはないよ。 オイラは夏や春休みに、参加する、季節塾生だったけれど、あれは夢でもみているかのような経験だった。
ボットン便所から人糞肥料すくって、こんなので畑まで持って行ったことある? オイラはやったよ。山道で零れるんだよ、ちゃっぷんちゃっぷん。。と。 悲劇だぜ・・。
「こんなのって アリ?」って当時おもったけどさ!
あれはアリなんだと今は堂々と言えるよ。
最高の寺子屋だった。 (塾生の写真はHPより転写)
この記事を親友経由の雑誌から贈られるなんて、これがまた、
なんともさ(^o^)
だいたい、日本の教育変だよ、半ば狂っている???何処向いてるんだよ、崩れるよ。みんな、知っているはずなのに・・・
でも顔を横にする・・・・・・・
小田原には気持ちがいくな・・・。
「はじめ塾」の子らにEXPECTATIONS!
「寺子屋、死せず」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2014年2月14日
間違った指導者(親 教師 先人等を含む)に進む道を強引に引っ張られている感じのする 現代の世の中。
夢多き子供達がかわいそうだと思っていたオイラの心に響く 今回のブログ。
目指す 良い生活が 心が豊かになる事でない 寂しさを感じていた。
学校は 色んな性格 特徴 才能を持った(個性)集団 であり
集団の中で その子に適した(親の希望に沿う事でなく)その子が持っている 豊かな才能に気付かせ 影からサポートするのが周りで関わりあう人間(同年齢から教師 両親まで含めた)の役割だと思う。
子ども自身が 自分で道を拓く力を付け 進んでいける環境整備位が 周りの人間の出来る役割だと思う。
偏差値の中にどっぷりつけて 集団の何処にいるかでは 個性は育たない 他人への思いやりも育たないと思います。
塾と言う形でしか 存在できない今に 悲しくなりますが、
それでも 『はじめ塾』が 存続できている事に 前向きに意義を見出すべきか?
このような 塾 環境が 消えてしまわない事を信じて 次世代へのバトンタッチをしていきたい・・・・・。