文学的雰囲気の中に 鋭い教訓。
ソチで大騒ぎするマスコミに踊らされる日本人。
寝不足人類増加中。
当選したての 新米都知事も 雪で苦しんでいる 奥地の都民をほったらかして・・・。ソチ見学か?
子離れの 教訓。20歳までに人の道を教える。
その後は本人の決めた人生を自由に歩み悔いのない一生を送る。
此れって 中々 出来ないんだよね。
人間ドックの結果を聞きにいく そのちょっとした 師匠の自由時間を うまく活用する術は 此れまでの 生き方から得たものと感心。
中々 生きている間に 自分が何をしたいか何て そんなに簡単に見つかる物ではない だから 良いのかもしれない。
城戸文学を楽しませて貰いました。 感謝。
そのとき、公園にて・・・
先日の「人間ドック」の結果説明のため再び、保健医療センターへ。
前回と風景が違うのは、残雪のせいだろうか、
それだけではない寂寥感がオイラに降りかかる。
約束の時間まで、まだだいぶあるので、クルマの中で、もって来た短編を読む。
景色の描写に卓越している作家の文体に影響されて、隣の公園に足を運んだ。
何だか風を感じたくなって_・・・・
公園の色合いと構図は、高校の時にオイラの描いた油絵もどきに酷似していて心臓が走る。
くるくる回るくるくる回る空と大地・・・ 道路の脇には古くてタイヤもすりへったちいさな車が止まっている。 なんかいい空気を吸っているよ。
ひとりぼっちになった淋しい午前の大安売り。 ふと、首をかしげると、ぬれたクモの巣が光っている。なにかを悲しんでいるかのように・・
自然界にいる自分をこの土の匂いと一緒に感じる。
ひとりもいいな・・・
連日、TVや新聞ではソチ・オリンピックがらみのニュースが中心にくる。 オイラは先に述べたようにスノボハーフパイプ以外はわからないし、興味がないので今は、全くノータッチだ。
Japanのマスコミの体質で、メダル候補を密着取材で追い込むでしょう。オモリをしょわせ潰してしまう。
あれがどうしても、気にくわないんだ。
ジャンプの沙羅ちゃんや、フィギアの浅田さんに金メダルの試練を背負わせ周りをはやしたてるマスコミ。
だいたい日本人は人のことを気にしすぎだよ、
もっと自分の事を気にした方がいいッテ思うョ。
人生がワイドショーのネタ探しになっているのってあまりにつまんない。
実際、浅田さんが金を取ろうが、メダルを逸しようが、オイラを含めほとんどの人の人生には何の影響もないの。 そこで一喜一憂しても何にも成らない。
もちろん日本人がメダルを取れば、かなり嬉しいけれど、それだけだもの。
自分の軌道にもどらなくてはならないんだ。
そりゃーオイラも、浅田さんのフリーの姿には脱帽した。彼女はルックスもよく、愛嬌もあるから、注目される。いつも試練をひとりで背負ってきた。素晴らしいアスリートだ。熱くなる!
深く礼を捧げてからでないと、オイラのテリトリーにもどれなかった。 m(_ _)m
オイラがアドレードに(オーストラリア)に高校の時に留学していたときにトニーって言う友人がいたんだ。
彼は山手に留学生としてきていた水泳の選手で、自由形でオーストラリアの記録保持者であったんだ。
その彼の弟がさらに水泳でスゴクて、16才のときだったかな、オリンピックのブレスト(平泳ぎ)でシルバーメダルを取ったんだよ。
トニーは、弟の才能を目の前にして、これは水泳では身が立たないと考えて、日本に留学しに来たって言ってたもの。
その弟に、オイラもいろいろ質問しちゃったんだけれど、今思うと、恥ずかしいよ。オーストラリアでは、メダリストになったからと言っても、なにもかわらない。
「メダルをとって、家族の祝福、友人からの祝福、コーチからの祝福、もちろんあったけれど、それはメダルをとらないときも、いつもある」
だからメダルを取ったときもとっても静かだったんだっていうんだ。
アドレードは小さな街だから、みな 目でおめでとうって挨拶をしてくれるから、こっちも目で返すけどねって笑ってたよ。こんな風景がずっと続いていく。
日本みたいにざざざーーーー!って来て、
すすすーーー木枯らしのように過ぎゆくのではない。
トニーが、「あいつは本当に応援してくれる人の賞賛、助言、だけで十分なんだ」と言ってた。
このときの体験がオイラの心にずっと住んで居てさ、とてもいいなーって(^o^)
浅田さんのときだって、本当に彼女のことを知っているひとが、彼女に言葉をかけるだけでいいと思った。
ショートの後、視聴率が至上命令のレポターに、「やはり真央ちゃんでも緊張しましたか、 次は真央ちゃんらしくガンバッテください」なんて声かけられてもねー
彼女が「期待されていたのにメダルを持ち帰れなくて申し訳ない」って日本国民に向けたコメントもだしているけど、そんなのいいのに・・。 十分だよ、日の丸に縛られないで””””
あなたの生き様は消えはしない・・自分のために生きてネ、自分のために自由に空を飛んでネ、
放たれた魂で、銀盤の反射光が泪で飛び散るように・・・・・・・・・・
オイラは自分の子供も、20才までは神様より「育てる使命を授かった」って考えている。
それ以上はもう自由にどうぞだよ。
警察に追われたり、人に迷惑を掛けないことだけが条件で、あとは自分でなんとかしてやね!だよ。
だから期待も失意もオイラをよぎらない。
結局、人は順番に死に向かっている。
宇宙からみれば 砂の粒みたいな一生だもの。
本人の自由意思に添わないでどーすんの!
浮こうが沈もうが、自分で決めた道なら、気持ちいいんだ!
ゴールドメダルとっても、それは周りの評価でしょう!自分の演技ができなければ悔いるものだ。
雪の残る公園の池の傍に腰掛けて、ずっとこんなことが頭上50センチくらいのところを空中散歩していた。
時計を見ると、約束の時間にあと4分しかなかった。
転ばないように、つま先とかかとに力をいれて、
はや足で、オイラは建物に向かっていた!
「そのとき、公園にて・・・」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2014年2月22日
このブログの作者の切り口はかなり鋭い。また、引きずりかまれる。
これを機会にまた覗かせてもらおうと思う。朝刊の連続小説のような感覚で読めるのが良い。
私も物書きをして長いが一般のブロガーが、ここまでハイレベルに綴ってくるとなると、喜悦と焦燥が同居する。