ある知人の話

ある知人の話

yjimage-7.jpeg小学校の時から「せんせい」といって慕っているYさんという人がいるんだ。 ここでもYせんせいと呼ぶよ。
 Yせんせいは奥さんにかなり若くして先立たれ、ふたりのお子さんを男ひとりで育て上げたんだ。
お姉ちゃんの方が思春期のとき周囲に溶け込めずに登校拒否、ひきこもりになってしまった。 弟さんの方は、そんなことは無かったのだけれど、思春期の女の子の気持ちは迷走する。
ざわざわ揺れている 
火事事件を起こしたり、家具をメチャクチャにしたり、自殺騒動もあった。もうYせんせい本人がパニック障害気味だった。 
当時オイラとの会話の中で思い出されるのが、
「ゆきおくんね、新興宗教に入る人の気持ちがわかるよ、こどものことだよ、救われるならなんでもいいから縋りたい」 ・・という思い詰めなんだ。
 どうにもならないやるせなさが空気の振動を超えてオイラに襲いかかったもの。
 Yせんせいは優秀な人で、湘南高校のサッカー部のキャプテンで現役で東大法科に進んだんだ。本人が何でもできたので余計にわからなくなってしまうんだろうってオイラは感じてた。
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当時、娘さんに逢ったときがあったけれど髪の毛を前に垂らして表情が全くわからなかった、奇声も聞こえた。 「鬼太郎か」と心の中で潮風が吹いたよ。 怖かったよ・・「なんで、こんなになっちゃうんだろうって」
 その時、Yせんせいが「ゆきおくん、なにか勉強のアドバイスしてやってくれ」って耳打ちするんだよな。

おいおいおい、こんな優秀なお父さんがいて、しかも勉強のアドバイスってなんだよなー。 人生の楽しみ方とか、そういうユルイヤじゃあだめなの?
Yせんせいが、あんまり懇願するんで、オイラは確か「好きな科目1科目だけやれば、でも好きな科目ないんでしょう?」 
その時初めて口をきいたんだ 「ない・・」って、か細い声が髪の毛の中から聞こえた気yjimage-6.jpegがした。目が隠れている相手と話すのはとても落ち着かないものだ。  
そうしたらYせんせいが、「ゆきおくんが決めてやってくれ」なんて無責任なこと口走るんだ。 なんなんだ!!!!   
その時、「なんでもいい・・」とまた聞こえたんだ。  
この時、オイラは、この娘(こ)は本当は学習したいのかもしれない、父親以外の誰かに背中を押して欲しいのかも・・Yせんせいもそれを知ってオイラのところに・・・なんて勝手な想像が駆け巡ったんだ。

「じゃあ、英語しかないよ、英語ができれば、世界を舞台にできるよ、狭い日本にいなくちゃ行けないなんてこともないんだ」 「日本人だから日本にいなくちゃ行けないってこともないんだよ」「日本のシステが合わないからって、そんなに気にすることないやね」
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彼女はひと言も喋らなかったよ。  自分の価値観を押しつけちゃったかな、ってチョイと焦ったけれど、もうあとの祭り。   

それから数年後、Y先生の話によると、突然、ナースになりたいと言い出したんだそうだ。 遠回りしたけれど看護の名門《聖路加看護大》を出てナースになったんだよ。

さて 物語はここからが始まりなんだ。 
「お父さん、私は国境なき医師団に行くつもりです、好きな英語をもっと勉強して、配属先の国ことばも一生懸命やります。だからやらせてくだい」 
 Yせんせいは「やっと、おちついたのに・・あー」って正直おもったてyjimage.jpegさ。 Yせんせいの苦労は「人間は無限の可能性を秘めている」なんてことばさえ外野だから言える陳腐なことばに聞こえさせていた。。

今、彼女は遠くエチオピアで看護に従事している。
「人の命にかかわることなので、コミュニケーションが生命線です。英語も現地のことばも寝床についてからも学習しています」という手紙がYせんせいを泣かせた。
 
そんな彼女は今年、同じ志の外科医(日本人)と現地で結婚した。
  
ナースが全員「国境なき医師団」を目指しているわけではない。彼女自身「国境なき医師団」を目指していたわけではない。 でも英語を勉強していたら「国境なき医師団」に入る事が「夢」でなく「目標」として将来の選択肢に入るようになったんだ。 これって素敵じゃない!
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英語に限らず、このとっておきの素敵なことは、あらゆる外国語に共通するダイヤモンドだ。オイラなんて、このダイヤモンドの魅力に磔(はりつけ)だ。
  
Yせんせいは 娘さんの結婚したい人がいると言うことを書いた手紙をオイラにみせながら、
「あのときの誰かさんのとんでもない アドバイスのせいで 地球の反対側にいっちまったー!!帰って来ない−!」と怒っていたよ(T_T)
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アドバイス後2年間は同じ生活パターンだったとのことなので、
 残念ながら実際は、オイラのの影響ではないと思う。
もともと本人に強い要素があったんだ。
だいたい英語が好きになったなんて聞いてなかったしなー

どうであれ、Yせんせい
じぇじぇっと最高に嬉しそうだったけどな・・・(^_^;)
 
彼女は今日もエチオピアで いきいき動いている

「ある知人の話」へのコメント

地球上に存在したと言うことは 無用の物は何一つとしてないと 考えるのが オイラの 思考の原点。
今回のブログの話は それを証明している。 
彼女は、大変な回り道をしたかもしれないが 自分で自分の目標を手にし 努力し 実現させたのだと思う。
 
働く場所が何処であれ 自分の為 他の人のため 役立つと思う 事に最大限の努力をしている人には 過去なんて関係なく 自然に頭がさがる。 
人は、未来の為に努力をし 夢見て前方の目標をしっかりと 見つめ歩みを進めている。
人は 残念ながら(あるいは、幸せな事に)昔には 戻れない 上を向いて 前に前に進む事ほど幸せな事はないと 思う。
師匠の 人生には 前向きの いい事象が 宝箱の中に 一杯つまっている うらやましいようだけれど オイラだって 大きさは、比較にならないだろうが 同じような物を手にしていると 信じている。
このことは 誰でも同じだと思う。 
本人が、気付くか 気付いていないかの違いは あっても 周りの人たちは 皆気付いて 感謝している 事は 間違いない。
昨日 特別に見せて貰った写真 オイラの心をかき乱している。
自分の孫の写真でもなく もちろん『カアチャン』の写真なんかではない 
物凄く 自己努力をした 人の写真は 側に飾り 何時も 無言で 背中を押してくれる そんな不可思議な 力があるから・・・・

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2013年12月4日

         

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