幸若舞「敦盛」の舞を覚えたり、禅と茶の湯に親しんだ信長の幼年期は、成書の解釈から離れますが、人生50年だった当時と対比すれば、現代の40代でしょうか?
様々な遊びに興じている信長を「うつけ者」と陰口を言っていた人間の人を見る目の話しを思い出すと同時に、城戸先生に信長を重ねたコメントは絶妙デスね!
光のVelocity(速さ)で・・
熊本の秋を彩る”みずあかり”
熊本城の内堀である坪井川に灯篭を浮かべ、周辺にも数千個の竹灯籠を設え、熊本の象徴である水と火をメインテーマに据えた幻想的なお祭り。
W大の熊本出身の友人からこんな写メをもらったんだ。 まさにオイラ好みの風景画だ。
個々の灯りは独立していても、全体としては坪井川の柔らかい流れに運命づけられている。
この写メの佇まい(たたずまい)が、小夜の丸ビルとリンクした。
サタデーナイトはOK 牧場だった。
丸ビルに向かうとき、自然とこの坪井川の灯籠が思い浮かんで、自分のチカラではどうにもならない流れが感触として来た。
OK牧場は月一で開催なんだけれど、このペースはとてもいい! 必ず次回開催日をその場で決めるので、心地よい緊張感とともに一ヶ月がおくれる。アクセントと言ってもイイ。
正会員2名なので、予定も即決まる。ほとんどの場合、ツカちゃんがオイラの予定を優先してくれているので、ありがたい限りなんだ。
ウイーースm(_ _)m
たった一ヶ月の間に、いろいろ変化があるもので、今回はツカちゃんサイドに潮目の変わる出来事があった。 しかもそれを、オイラからみればアリエナイ精神力と体力で、ピシャリとパズルのピースを当てはめて形にしている。 最後に聞かなければならないのは「自分の声」 であるということをキッチリやってのけている友を誇りに思ったよ。
オイラはまだまだだ・・。
頼ろう・・・なんて ・・・そんな気持ちだから 見失うんだ。
世間はオイラ達の母親ではない。 迷いのあるオドオドシタ羊の決心をいつまでも待ったりはしない・・
お互い、山積みの問題を目の前にしても、
やはり酌み交わす酒は旨い! 旨い!
プハーッって気分(^^)/ これだよな・・。
途中だと、思わなければやってらんねェ・・・そんな時期もある、
でもそれが途中で無く全てである団塊がほとんどなのが 現実だ。
途中って思いたいだけ、だから時期の来るのを待っている。
でも なんだ、 その「待つ」って言うのは・・。
一体「何」を、「いつまで」待つつもりなのか?・・
生まれたての赤ちゃんなら そう 待つのもいいだろう。
しかし 戦国時代なら、とうに死んでいるオイラには、いたずらに春秋を重ねるには危うすぎる。
半ば眠ったような意識で鬱々と「待つ」?
冗談だろ・・そういうのを無為っていうんだ。
今回、いきつけの「BREEZE OF TOKYO」で 宇宙論を話しているときに、降ってきた文脈があるんだ。
相対性理論から「 光の速さで移動すれば時間は進まない」との有名な理論からなんだけれどね、
ケツ(寿命)が決まっている以上、
残されたキーワードはこの「光のVelocity速さ」だと。 モネが移ろいゆく光の美を表現し印象派を創造したように、ルノワールが光に透ける少女の肌と,輝く髪の美しさを追いもとめたように・・
「光のVelocity」を 強く意識
・・・・人生のパートナーにする。
志を高く掲げて、それに向かって行ったとしても、時間切れでは、無為だ。時間内に解答用紙を埋めるんだ。 埋めなくてもいいかも・・という甘さが時間切れを赦(ゆる)してしまう。
それじゃあさ::
羽のもげたゴキブリに等しい
とオイラは自身を戒めたよ。
熊本は 坪井川の灯籠の光・・・
この橙色の光りにオイラは霊的に引きこまれていく。
「光のVelocity(速さ)で・・」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年10月14日
有名な戦国武将 織田信長の 名句に『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか』
戦国時代なら、とうに死んでいる年月を重ねられた師匠 さすがに 其の事に気づかれ
いたずらに春秋を重ねるには危うすぎるとこのブログで指摘。
『いくら志が高くても それに向かっていっても、時間切れで答案用紙に解答を埋められないようでは意味がない。 埋めなくてもよい そんな甘えの心が時間切れを許す』と厳しく 叱責されている。
自己の強い意志で、心を静寂に保ち『自分の心から出る声に耳を傾ける』
光の速さを強く意識し スピードを上げ 答えを出す この重要性を 説いておられる。
親友のアリエナイ精神力と体力で、ピシャリとパズルのピースを当てはめて形にしていることや、 師匠は自己を追い詰めた中から到達された結果はとして 半ば眠ったような意識で鬱々と「待つ」? そういうのを無為っていうんだとオイラ達に諭されている。
心にグサリと突き刺さる 苦言である。
無駄な無為な半世紀を過ごしてこられていない師匠に オイラは、敬服。
やっぱ 師匠だなぁ?!!