宇宙な時間へ
今日も、播磨な時間の続編だよ(^_-)
天文台の先生の講義はほとんど理解できて、これならついて行けると、一安心。
さすがは関西地区の先生で、恐ろしく気さくなんだよね。
「今日の講義で分からないことがあったら、4時以降に電話くれ、分からないのは、オレの説明が甘いんだ、分かるまで説明する」って言うんだよ。
当然、オイラの手元にはその電話番号がある。今回のプロジェクトに参加するに当たって15冊以上の宇宙と星座の本を読了したんだけれど、どうにも星座関係が、オイラの泣きどころ。
とくに、その星座に纏わるギリシャ神話となると、今回初めて学ぶことばかりだ。
やってみると、なるほどギリシャ神話は哲学と互換性があって、思っていたより面白いや。
それにしても、こぐま座と言われても、こぐまに見えないんだよね。 アンドロメダ座と言われても全然アンドロメダさんに見えないなー。 「全88星座の位置は九九のように覚えているでしょうね、みなさん」と問われては、叩き込むしかない。
気が多いオイラは、経済、文学、美術、語学等、きょろきょろするんだけれど、「宇宙関係」は完全に気晴らしだ。逆に、 他の分野は気晴らしとは言えない思いがある。
でも 「宇宙な時間は完全に自由なボケーとした時間なんだ」
ただし 頭を下げて教えを請う限り、88星座くらいは礼儀として瞬時に分からなければ失礼だ。 宿題のレポートも毎回ある。 今回の分は、次の日に投函したよ。
天文台の学芸員の他に舎弟となった天文大使達が、ボランティアで会場に来てくれているんだよね。
みんなオタクっぽくていい感じなんだ。見事にみんな、同じ目をしているんだ。昭和のころの少女マンガみたいに目の中に星が、キラキラ住んで居る。
それにしても、講義の説明天才的に上手だ。 よくここまで砕いて話せるもんだよ。
オイラの中で、まばらな点が、いくつもの線になる瞬間が幾度も顔を出した。ちょうど☆と★をつないでオリオンが現れるステージと似ている。
のぞみに乗る時間まで、姫路の駅前をブラブラしてみたよ。 美術的な街なのか、サックス坊や、座ったちいさな女の子のブロンズ像があったよ。 オイラはこういうのがある街並って好みなんだ。 無意味でしょう実際。 その無意味さがいいんだよ。
合理的過ぎる世の中に、同意しないからさ。 学校の先生でも、授業以外のことに話しがそれちゃって、それでチャイムが鳴っちゃう先生って、居たでしょう?
そういう先生がツボだったなー。
帰りの新幹線の中で、松本清張の処女作「西郷札」を手に取る。 清張が社会派推理小説を書くようになったのはズッと後のことだ。
現在、日本文学の中で推理小説で純文学と同等、もしくはそれ以上と評されるのは清張ただひとりだ。(文壇では推理作家は純文学の人より下に見られる。おかしなしきたりね)
ふと、そういえばデビュー作と芥川賞受賞作は意識的に避けていたなと思い、今回、もってきた。
短編なので車中で読了。
最初から天才的だ。 ふー、
よくこんな、アイデア浮かぶモンだよなー
あーあ。
ビールを飲みながらチョッピリ、落ち込んだオイラだった。ちょうど 名古屋を過ぎた頃だった。
「宇宙な時間へ」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年9月6日
師匠にとっての『宇宙』空間は 理屈で理解するものでなく 夢見る少年のように星がキラキラ輝き ビー玉の入った箱をひっくり返したような 楽のしく 美しい夢の世界だったのが 播磨へ出かけ天文台の学芸員の方からの説明で 若干様子が変わってきたようだ。点と点が線でつながり 理解が出来ていく楽しさの発見。
ギリシャ神話そのものから星の集合に名前をつけたから こぐま座と言っても オイラ達の時代の目にするこぐまをそのまま持ってきて眺めてもそうは見えないのが自然なのでは。
何世紀も前の神話の時代(日本の歴史で言えば キリンなる動物を見た事もなく思い描くのと同じかも)
全星座88の位地を九九のように覚えるのは オタクでないと。 姫路駅前のブロンズ像を見て これ何?の人には難解でしょうね。
無意味さがいいと感じる人には、宇宙は微笑むに違いない。
天文台の勉強への参加は きっと師匠を変えるのではないかと期待。