夏・おふくろのこと
この夏、オイラのおふくろが、
『イギリスに行って帰ってきた』・・・・・・。
これが最後の海外旅行になるであろうということは本人も、家族もだれもが強く認識していた。
おふくろは今年で71歳だ。一緒に行った友人三人はみな80歳以上で、「わたしが通訳しなきゃ」などと、つぶやいているのを、耳にしたオイラの首は前方に10センチ動いたもんだ。
おふくろは60歳のとき心筋梗塞で倒れた。「奇跡」と医者に言われながら、集中治療室からもどってきた。その後、オヤジとオイラは執刀医から面会を求められ、「あと1~2年」と歯切れ悪く言われたよ。心臓が半分動いてないと・・・・。 迷った末、おふくろにも告げた。
その時、「尊厳死協会にも登録しているし、延命治療は一切やらないで欲しい。お父さんは、ああみえても寂しがりやです。思えば幸せな人生でした」「お父さんのこと気に掛けてあげて下さい」なんて敬語でさ、あらたまって言われたよ。
その後、3度オペをして、どういうわけか、元気に65になった。
そして乳がん発覚。オペの成功率は低かったので、家族は迷走した。 しかし本人は、飄々とオペの承諾書にサインをしているんだ。 乳房を全部摘出したときの、おふくろの落ち込み様といったら、初めて優しい母さんに叱られたこどものようだった。
「これじゃあ人前に出れないわ」なんて胸を押さえている始末なんだ。オヤジも、「いまさら オッパイでもないもんだろー」と大笑いにして呆れていた。
『姿は老いても,心は若く美しく』と最も尊敬する,作家の芹沢光冶良先生の言葉を噛みしめていたよ。
オイラの幼少期から大学入学くらいまで、家の一番目立つ場所に芹沢先生直筆のこの文字は掲げられていた。
サンダーストームのようにその光景がフラッシュバックした。
その1年後には、持病の股関節のオペもしてなんとか車いすから遠ざかった。乳がんのオペはその後も2回、行っている。医学が発達した現在も,転移はどうにも避けられないんだ。
先日は、ついに抗がん剤が体に合わなくなり、これ以上の積極的治療は、止めることになった。 夜中にオイラが救急車役するのにも慣れてきいたんだけれどね。
おふくろが横浜国大英文科の学生の時にオイラは生まれた。お陰で、勉学に身が入らなかったと、無茶苦茶なことを言ってるゼー!
英検1級に落ち続けていることが余程悔しいらしんだよ。 オイラのせーにするなよなー(^o^)
耳も悪いおふくろは、音量がデカイ! 6月頃から、一日中、高出力で、音の割れた舶来語が、おふくろの傍から聞こえて来るんだよ。
調査に行ってみると、なんと、英語の聞き取りをしているではないか。
昔買った,カセットテープの教材を、どこで探してきたのか、ミステリアスな再生機にかけて、聞き取りをノートしているんだ。
口をパックリ開け、ベロを3センチ突き出しいるオイラに向かって
「あら、ゆきおさんここなんて言っているか、わかる?」 と何の躊躇もなく、前に出て来る。
「それは democratization、民主化のことだよ」
「さすがじゃーない、あーこれじゃあ、イギリスでみんなを引率できないわ」・・と。
ある日は、学生時代から使っている「和文英訳の修行」という文法書と、とっくみあっているんだ。「そろそろ本気で準備しないと、永遠に1級とれないわー」だって。
おふくろが、イギリスに行く、数日前にオヤジが熱中症で,入院した。
おふくろは「お父さんがあんな状態では行けないわー」と・・。
オヤジも「ここで俺が回復しないと一生呪われちまう、まあわずかな残り」とかなんとか言って、
普段聞かない医者の言いつけをキッチリ守って元気になったんだ。オヤジは出不精で旅行とか大嫌いなんだよ。
帰ってきた、おふくろはますます、元気なんだよね
「土産物屋で鍛えていった? 英語が通じたわー」と、自信をつけた模様。
今日も、カセットテープの割れた音が、
公園で遊ぶクロンボ達の奇声を、ザックリと掻き消す。
「夏・おふくろのこと」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年8月12日
師匠のお母様お父様には 家族ぐるみでお世話になった者として
今回のブログの話はよく理解できます。
師匠自身のクリニックの夏休み設定も 先のブログでもわかるように 休養ではなくて集中的に一流人からの知識吸収が目的なようで
オイラ感心しました。
何歳になっても前向きな思考は 城戸家の宝ですね。