校風
「ずいぶんと違うもんだ」
校風の話だ。 W大に集中的に通って確信した。
K大には既に7年も通っているので、こっちの校風は染みついる。
「昔は、慶應ボーイのお坊ちゃんとバンカラの早稲田と言われたけれど、今は差はない」と、聞いていた。
どっこい、入ってくる生徒にはたぶん差は無いンだろうけど、先生に差があるんだよな。
ひとことで言うと、早稲田の方が生徒との距離が近い。
関西弁の先生が多い。
あるとき、オイラが私用で、どうしても早退きせざる得ない時があったんだ。そこでソッと身をかがめてドアもソロリと開けて出て行こうとしたらさ、「さいなら〜」なんて授業中の先生から声かけられちゃってさ、いやー恐縮したぜー!
授業中も、必要以上に教壇から降りて同じ平面に立ってくる。ブレーンストーミングがやたらと多い。
これは、ひとりの先生に特徴的にあるわけではなく、だいだいどの先生もそんなスタイルでやる。
そうそう、授業始まる10分前には来て、生徒と話をするのも、おなじみの光景だ。
早稲田にはチャイムというモノがない。 どうやら、「その先生の裁量で、好きなだけやって、いいと思ったら、止めてくれ」ということらしい。昔、あるベテランの哲学教師が話しが終わらなくて、次の授業の先生も、座って聞いて、首を上下させてノートしていたなんて逸話もある、なんて言ってた。
テストレポートも、100%思考回路の要求で暗記ものはひとつもないんだ。 まあ、W大の方は文学部で、K大の方は経済学部だっていうことも、大きく関係しているのだろうけど、あまりにも違うんで、ミズスマシが溺れちゃう感覚になったよ。
Kの方は、福沢諭吉先生の「独立自尊」の精神に敬意を表し、学問的な授業が厳かに行われている。
「先生と呼ばれるのは福沢諭吉先生だけで、あとはみな同じ」とする考えだ。例えば藤田教授でも藤田君と君で学校的には呼ばれる。 むろん調子にのってオイラが、そう呼ぶわけにはいかないよ、(>_<)ちゃんと最高の畏敬を示しているさ。 当たり前ね! だいたいそんな感じではない。
K大では福沢諭吉先生は神的存在で塾員・塾生の精神的支柱なんだ。
Wのマスコットの前回も登場のこのクマね、なんというか知ってる?
なんと「オオクマ」だよ! いいのかヨーって感じだよな! それでなくても銅像を「シゲノブさん」とか言っているしな。
まあドッチがいいとかいうわけでは、無いけど、あまりの違いに目眩がしたよ。 関西人は120%早稲田の方が合うね。今は両方合格すると学部に関係無く8割はK大に進むらしいけど、ここには想像以上の分岐点だってことを、ここにアドバイスしておくよ。
現代日本文学の発祥地は、ここ早稲田だ。
坪内逍遙が「小説神髄」というのを書いてから「小説」という認識が日本にできた。
早稲田文学部の初代学部長が逍遙ってわけで記念館も構内にある。
W大文学部は坪内逍遥が教壇にたち、多くの有名な作家を生んできた。直木賞、芥川賞の数はT大やK大を押さえて定位置であるかのようにトップを馳せる。
逍遙記念館に「小説神髄」の初版本が展示されていてさ、
思わず展示ガラスに右手のひとさし指を置いて、何度もそこを、なぞっってしまった。
今も残るこの指の感覚が、オイラに風変わりなパワーを吸い寄せる・・・・。 この指の感覚得ただけで、ここに居る自分に、意味を与えることができている。
オット、時間だ、いかなきゃ!
「校風」へのコメント
コメントを残す
カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年8月9日
師匠のブログのおかげで 『文学のW大』 『経済のK大』の雰囲気の違いがよく伝わって 理解が出来ました。
両方に籍を置き学を修める師匠は幸せ者。
私大の雄 流石に創立の精神が脈々と受け継がれ現在もお題目でなく生きた学生の精神の支えになっているなんて素晴らしい。
今週末以降の師匠の痩せ具合に注目!
単位を落とし助けて貰う集中講義ではない 中身の濃い雰囲気と 学友 教授の真剣勝負の場面が目に浮かびます。
師匠は 今年で 50歳なんでしょう?
誠にうらやましい 『やる気に対する精神力』『学問を身に付けようとする』 貪欲なまでの知識欲 狭い分野でなく 自分が本当に学んでみたいと思った事を実行する『行動力と継続力』に驚嘆(家族の隠れた苦労もあるのでしょうが)