いきの構造
「いき」とは外国には見られない日本特有の感覚だ。
この「いき」の構造が、日本画・美人画に浮き出ているんだ。 オイラの目にとまっている作品を紹介するね。結構、これが面白いんだ。
岩佐又兵衛(いわさ・またべえ)ー「浄瑠璃物語絵巻」じょうるりものがたりえまきー安土桃山時代
又兵衛の描く女性の顔は独特で味があるんだ。平安の頃の下ぶくれ美人を引きづって居るのかと、思いきや、あれま・・ ふっくらとした頬に、唇から顎までの距離が異常に長い。オイラには色白のアザラシにしか見えないよ。 本当にこの時代に好まれていたのかな?
菱川師宣(ひしかわ・もろのぶ)ー
「見返り美人図」みかえりびじんずー江戸初期
この絵で見せたいのは、帯、着物の柄、髪型だ。そして振り返る女性のポージングがそれらを引き立てている。 よって、顔は重要ではない。 ・・・と、このことはわかるんだけどね、まあ顔に注目してよ。目は小さくて、おちょぼ口、やたらと面長だ。
とても美人とは言い難い。
だからこそ、この振り返りの姿に目が行くのだろうが、師宣が、洒落でそうしたとしか思えないんだよな。
宮川長春(みやがわ・ちょうしゅん)ー「遊女聞香図」ゆうじょもんこうずー江戸中期
これには、脱帽。 女性の顔に媚態がある。媚態・・異性と自分との間に於ける緊張状態のことだ。
富士額(ふじびたい)、豊満な頬に。後れ毛がかかって、肉づきもゆったりして優雅だ。 なまめかしい視線をななめに落とし、物思いにふけっていても、キリッと芯は通っている。 見れば見るほど吸い込まれる、天才的な画法がオイラを呼び込むんだ。
曾我簫白(そが・しょうはく)ー「美人図」びじんずー江戸中期
「美人図」といっても、モチーフは『狂女』なんだ。顔はわりと美人なんだけれど、くわえているのはビリビリに裂けた手紙だ。眼はうつろで焦点が定まっていない。
描かれた女性のただならぬ状況に強く惹きつけられ、ついつい見入ってしまうんだな。 狂女というのは、幽霊と並んで、当時人気の題材だったんだ。何に、狂ったかって、それは恋でしょう! いつの時代も同じだよ。
上村松園(うえむら・しょうえん)ー
「晩秋」ばんしゅうー明治時代後期
松園は、女流画家なんだ。 妻子ある人の子を産んだり、奔放な生き方を選択した。家庭的なことは、拒否して絵に全霊を注いだ。
女性の美しい仕草、芯の強さを誰よりも気品高く描いた。
オイラの一押しだよ。髪の毛の表し方が特徴的。
描き込みが細かいというのでなく、ふわーとしているでしょう。
松園には偽物も多く出回っているんだけれど、髪の毛を見れば即、鑑別できる。この立体感は出せないんだ。
松園は、同姓として女性を内側から描いている。『女性らしさ』ではなく、『女性が内面にもつ強い意志と気品』を描いていた。この絵では、ふとおとした控えめな目線が美しい。
イヤー、「いき」だねー。暑い毎日が風流な日になる。
「いきの構造」へのコメント
コメントを残す
カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年7月28日
松園の画風説明の後のなんともいえない 空間。イヤー、「いき」だねー。??
美人画一つ取り上げても 絵を見る視点が違うと
違いの発見があり なんともいえない 時代感 画家の目の付け所の違いが如実に現れている
その時代の大衆に迎合しているのではないかとさえ 思いたくなる点も感じる 売れる絵をかく
真に『美』を追求しての到達点とは 現代人のオイラには、理解に苦しむがそれはそれとして その時代 その時代の 感性の違いを肌で感じる面白いテーマ。
『いき』とはそもそも 江戸特有の美意識らしいが 身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含んでいるらし。
W大での知識が 師匠の遊び心に火をつけたのかな?
「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」なんてーーーー。