奇観・・綿のお城 Turkish notes 6
奇観!!これは、ちょっと日本では見れないよね!
ここはパムツカレという世界遺産。文化と自然の複合遺産ね。 パムツカレとはトルコ語で「綿のお城」のことなんだ。
この光景にはただ、ただ心を洗われたよ。
綿の正体は、長い年月を経て凝結した温泉の石灰分なんだ。これが、まさに綿のお城のような、石灰棚の景観を生み出した。
パムツカレは街としても存在していてね、聖なる古代都市エラポリスの起点となる街でもあるんだ。
このどこまでも広がる真っ白名世界は、自然が育んだ不思議な風景。・・・しかも温泉なんだ。気持ちいいよー!
オイラも、足だけ入ったけど、温かかったよ。40°くらいかな・・。石灰棚を保護するため、土足は厳禁なんだ。だからオイラも、裸足の少年(^_-)!
イタリア人ぽい観光客は風呂のようにして入ってたよ。 服を脱げばそれも、ありらしいんだけど、まさかねー、オイラのアザラシよろしくの裸体を世界にさらすには、神が許さないだろうと思い、裸足で、我慢しといたよ。(^_^;)
このパムツカレの街を見下ろす丘の斜面の真っ白なミステリアスな空間は、ほんと息をのむよ。
科学的には、この地域の温泉水に多く含まれる炭酸カルシウム分が水中の酸素と結合して沈殿・凝結ってわけさ。
朝陽を浴びると、
青白く、夕陽を浴びると赤みを帯びる。
これを絶景と言わず、なんたるや・・だよ。
大自然の贈り物だよね。
あー・・ オイラは、自分の無力さをガツンと感じたよ。
この石灰棚、遠目には、雪にしか見えないんだよね。
オイラの名前もユキオだから、小さい頃から、雪を意識して育ったんだ。だからさ、ついこのパムツカレの石灰棚を大地を、裸足で歩いていて、くらべちゃったんだ・・。
「あーオイラは、なんて、取るに足りない存在なんだ・・。」ってね!
そんな思いを抱きながら、この「綿のお城」を後にして、パムツカレの街中に入ると、小学校があったんだ。
オイラね、異国の学校にとっても惹かれるんだよね。 だって、まさにその国の原点だもの。 教育は国のセンターだ。
みんないい顔しているんだよな。なんだか嬉しくなっちゃったよ。 一緒に、この子達の輪の中に入りたいな。
高校の時ね、研修旅行ってことで、アメリカのワシントン州の家庭にに2週間ホームステイしたときのことなんだけど・・。 エリザベスっていう、幼稚園生がその家にいたんだ。 ある日、オイラはエリザベスに連れられて、彼女のクラスで、日本の紹介をすることになったんだ。 当時、まったく英語がしゃべれないオイラは、緊張の最上位だよ。 でもそのクラスに入ったとたん
「ウキオ! ウキオI」とまるでシュプレヒコールの波。
折り紙を、一生懸命、オイラ英語で、説明して、純粋に人気者になちゃったんだ。
あの体験はオイラにとってターニングポイントだった。
「ことばってすげー」って震えたもんなー。今思い起こしても、胸が灼熱だ。 この時以来、勉強といえば、イコール英語になったもの。 これは神様がくれた経験だと思っているよ。
といっても、オイラは実は無神論者なんだ。
無神論者のオイラは、聖書を読んでも、実は、申し訳ないのだけれどピンとこないんだよな。
でも、ひとつだけ、グサっとくるのがあったんだ。
まあこれひとつだけだけど、オイラのツボにハマった。
「ことば」「言語」はオイラにとってまさに生命線・・。
世界の最初に存在したもの
この世界に最初に存在したものはなにか。
それは言葉であった。
言葉は神とともにあった。
この言葉が神自身であった。
この言葉によって、いっさいのものが創造されたのである。
創造されたもので何一つとして、言葉以外によって創られたものはない。
言葉には生命があった。
人の光と成る生命である。
この光は闇の中で輝いていた。
(ヨハネ福音書 第一章)
「奇観・・綿のお城 Turkish notes 6」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2013年4月21日
パムツカレという世界遺産 日本に居て、こんなに
素晴らしい光景を見れるなんて このブログのおかげ。
規模の違う温泉 写真を見たとき 塩かと思っちゃいました。無知は恐ろしい。
流石マイスターだ 遺産を汚さないように 素足で歩くなんて。
学校は、まさにその国の原点だもの。 教育は国のセンターとは名言。
京都の町も明治の初期からはそれまでのお寺さん中心から、新しく作られた小学校を中心に地域社会が復興した(東京に中心が移り 寂れた都市化した)歴史を振り返ると正に師匠のご指摘どおり。
トルコの世界遺産の旅報告もやっと半分くらいかな?
単なる観光客の目線でない レポートにオイラ迄もが 発見、驚きが一杯。有難う 師匠。
『村上春樹』風文体での報告に期待しています