じゃあ、またね・・

じゃあ、またね・・

「今は耐えろ。
そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ」
この言葉は、次の名言の後半を抜粋したもなんだ。
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「俺はトレーニングが大嫌いだった。
でも、自分にこう言い聞かせたんだ。

“絶対にあきらめるな。

今は耐えろ。
そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ”」

偉大なるボクサー、モハメッド・アリのことばなんだ。  

image-5.jpegいわゆる根性論になってしまう、この言葉をオイラは
現在は「これって、ちがうんじゃあないか」って感じている。 
 こう言うスポ根は、かつて、オイラも好んだ傾向なんだけど、こういうMUST思考(ーしなければならない)は、続かないんだよね。
 無理すぎるでしょう。もちろん 「あきらめない」って言うのは、間然する所なく支持するけどさー。 「 耐えろ 」っていうのがなー、ちょっとなー。
それこそ血の気の艶やかな20代30代前半はいいんだろうけど、
体力・気力は、何があっても衰弊(すいへい)していく。MUST思考だと、気ばかり行き場に向かい、実体はついて行けず、鬱屈(うっくつ)する。  
こうして、自分のレーゾンデトールimage-12.jpeg(存在価値)を失う。
依然、オイラブログでも示したように、人間は医薬品や、寒熱を耐える住居がなければ、心臓の鼓動回数から計算すると、30歳前半で死ぬものなんだ。それ以降は、生物学的にはおまけの期間なんだね!
 オマケの期間に入ったら、もう自然体でいいと思うんだ。
 したいと思う事だけしていても、何とかなるってさ! 
 WANT思考(−したい)ね!  嫌なことしたって続かないよ。 
「それでも この世は厳しく、嫌なことでも我慢して堪え忍ばねば生きていけないのだ」・・という声が背後からオイラを撃つ。 
 でもこれって、「幻想」「幻覚」「幻惑」だimage-7.jpegよ。  そんな風に、錯覚するとそういうものだと思って、そういう風な生き方になってしまうんだ。
所詮オマケの人生なんだからさ。 つべこべ言ったってはじまんねーさ。  好きに行った方がいいねー!
 つい先日、オイラの2つ上の先輩が死んだんだ。 
完全な仕事人間だった。歯科の関係としては珍しくオイラも尊敬してた人だ。 豪快に酒を飲む巨漢の気さくな先輩だったよ。 
その先輩が、息を引き取る間際に、奥さんにこう、告げたと言うんだ。 
「そのうち、そのうちは、・・なにも、してやれず すまなかった 悔やんでいるありがとう」・・と。      
  image-8.jpeg無理をする矛先(ほこさき)を、ちょこっと、ずらしたら、良かったのだろうか?  オイラにはわからない。 

もう10年以上前になるけれど、 当時40に成ったばかりの、赤ひげ先生みたいなS先生が死んだんだ。 診療終わった後の掃除も、スタッフを先に帰らせて、S先生がひとりでやっていた。日曜も要望があれば、診療していた。休み無しで働いて居た。 
娘さんが3人居て、「まだまだ ムチ打ってがんばらなきゃなー」なんて笑っていたのに・・。一番下の5歳になったか成らないかぐらいのお嬢さんが、
image-10.jpeg棺桶を、何度も何度も、ちいさなコブシでたたきながら、
「パアパ おきてー パアパ、パパ・・・」と言っていた言葉が、
今現在でも、オイラの心に刺さりっぱなしなんだ。 
  本当の幸いって何なんだろう・・・・・。  
『捨てなければ、得られない』 ・・・欲張ってゼーンブなんて姿勢では、ひとつも得られない・・・ 
捨てる勇気を持てる者にのみ幸いは来る。
   この勇気を持っている者は、少ない・・・ 
迷いは、時間軸のワナにハマル。   結果、捨てれない・・・ズルズル・・ 
痛悔の弥終(いやはて)
       
image-13.jpegそのS先生も、最後に病床で奥さんに、「約束果たせなくて、すまなかった・・」と言って逝ったそうだ。
   芯はキッチリ抑えて、気ままに、ヒョimage-9.jpegイヒョイといくかなー・・・ 
 死ぬときは、
「じゃあ。またねー!サンキュー」
みたいな感じで、ぶっ飛びたいんだよね!

「じゃあ、またね・・」へのコメント

哺乳類の心臓鼓動回数は凡そ20億回動くのが一生の数字らしい。それから推測すると30歳ぐらいまで 後はある意味おまけ。ご褒美の命。 人は身近な人の死によって自己の人生を見直す傾向にあるらしい 師匠も身近な人の死を経験し 今回のブログの話が出てきたものと思うし 師匠もそろそろ体力に不安でもあるのかな?
哲学的な表現が出てきたが MUST思考から卒業しWANT思考に矛先変更 脅迫されたような人生は20歳代で卒業。幸せは 欲張っても手に入らない 捨てるべきものは捨てるそれが出来ないと手に入らない 勇気がいる決断ではあるが その結果初めて幸せ感を心から感じ自然界のあらゆるものが楽しく美しく心に響いてくる こんな実感 オイラこの歳になったら感じる。体を心をリラックスにして静かに目を閉じ あらゆる力を抜き丹田に意識を集中し 時計を横に置き 自分で一分間と思う時に目を開け時計との差を実感する これが訓練するとピッタリ時計とあうようになる 頭が 心が 狂っているのが調整できる そうすると 今まで聞こえなかった 音が静かに心の中にしみこんでくるし 道を歩いていても 足元の草花から季節を感じるようになる。 人生死ぬ時を死ぬ 慌てることなく楽しみながら過ごし 『有難う楽しかったよ。サンキューまたな』といって穏やかに終末を迎えられると思うしそうなりたいとオイラ今を過ごしている。波長の合った話だった。

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2013年2月23日

         

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