9月17日がまたやってくる・・

9月17日がまたやってくる・・

 P1080040.JPGまた、あの日が、やってくる・・9月17日・・この日。
江守節子先生の命日なんだ。 二年間半の闘病生活の末だった。1990年平成2年のこの日、オイラには、
本気で魂が抜けた・・。江守先生は山手学院の創始者であり学院長であり、英語科の教師でもあった。 
オイラにとって,生涯、恩師と呼べる存在は2人しかいない。
江守節子先生は、そのひとりだ。
このオイラブログの読者のみんななら、オイラが、どれだけのものを江守先生から受け取ってきたか、今更、説明なんP1080038.JPGていらないよね・・ 
江守先生から、教わったオイラには、今のTVで、いいわけばかりしている、教員達が、江守先生と同じ教師という職業だなんて、まったくもって信じられねーんだ!・・
こと、江守先生のことがあるから、オイラにとって
教師という職業は聖域なんだ。
人間一の職業だと信じている。
だから、成るモノ無いから、取り敢えず教師に・・とか、夏休みが長いから教師に・・とか・・
P1080037.JPG問題児のクラス担任はかんべんとかさ・・そんな話を聞くと、吐き気がするんだ。 
だいたい、そんな志のヤツは、教壇に立つんじゃあねーよ!
オイラが、引きずり降ろしてやる・・・・
江守先生はそうじゃあなかった・・これがオイラにとってのすべての理由で、それで充分なんだ!
 そうでしょう・・   
同じ教師という名でも、なんか、全然違う・・・・当時の山手学院は荒れていて、問題児ばかりだった。ホントだよ・・
当時の新聞ひっくり返してもらえればすぐ出てくるよ・・ 
でも、そんな全山手生に共通していたのは、「江守節子先生に、私の子供達」と、言われて、体当たりの愛情を、情熱を、精神を受けて来たことだ。
オイラだけじゃあない、みんな先生のことを、こころから信頼していた。今でも、
「江守先生、見ていて下さい! Never Never Never Give Up」  そう、星空見て、唇かみしめているのはオイラだけではないんだ。
前に、オイラブログに登場した、六本木で建築事務所を経営するブジンくんに、「よく1級建築士受かったよな!」って言った時に、「だってオレ、山手生だもん、これくらいで躓いてたら、江守せんせいに笑われるぜ!」って即答。だよな・・・
P1080030.JPGこれは、オイラの宝物なんだ。 ずっと大切にしている。 
10頁ほどの小冊子で、江守先生が亡くなられて、一ヶ月後に、全山手在校生、及び卒業生に贈られたものだ。 
この『ありし日の江守節子先生をしのんで」
には、4人の文が掲載されている。 
最初に、山手の卒業生でもある、猪俣史郎(当時)校長の 告別式で読み上げた・・弔辞の全文。
 あのとき、『先生、長い間、ご指導を受けて参りました猪俣史郎でございます。ただもう、無念でございます。』
と始まったとき、
まさに全国から駆けつけた山手生が、どっと一斉に棺の前に駆け寄り片手を棺に当てて、
「先生、せんせい、せんせーセンセ−・・」といい,いい大人が、集団で、なりふり構わず泣き叫んで、肩P1080034.JPGを寄せ合った、あの時が目に焼き付き、今も鮮明なんだ。
もちろん、既に歯科医になっていたオイラもグシャグシャになって、その中に居たよ。 
その間にも、猪P1080036.JPG俣校長の 
「先生は、わたしは明日起きたら冷たく成っているかも知れない。そうなってもお前さん達、慌てるんじゃあないよ。山手を頼むよ・・子供達を頼むよ・・そうおっしゃて、おられました。 覚悟を決めて前に進みます。見守っててください・・」と
弔辞は続く。
そうすると、誰とも無く、「見守ってて下さい。見ていて下さい」と声が出て、みんなグチャグッチャにあとに復唱していった。 
冊子image.jpegにはi,猪俣校長の弔辞に続き、在校生代表で、1名。卒業生代表で1名の追悼文が掲載されている。
そして 最後に、江守先生の「我が使命」という魂の叫びが再掲されている。
 ”こんな素晴らしい先生に教わったのだから、もっともっと精進しようと心に誓ったと綴っていimage-1.jpegる、 在校生代表の豊島千絵さん”の文の最後には、こう記されている。
『先生のお姿を学校で見られなくなり、随分淋しい思いをしました。 一度先生のお見舞いに伺ったとき、先生はもう、細く、おやつられになり力も弱くなってしまった手で私の手をそれでも力一杯握り「必ずもう一度教壇に立つからね」と言って下さったのに・・
P1080033.JPG もう一度、一度でいいから先生の授業を受けたかった。
いえ、先生が英語の授業をなさっている姿だけでもよかった。もう一度教壇に立っているあのお姿を拝見したかった・・・』  
この生徒とオイラは面識がない。でも、
江守先生の子として、心は同じだった。これはオイラの思いだ・・・全山手生の思いだ・・・
もう一度だけでいい、 先生に逢いたい・・神様・・それが叶わぬのなら・・・
“天国で元気でやってる先生の姿だけでも”ひと目見させて下さい・・・一秒でも二秒でもいいんです・・

nbp03.jpgオイラには弟と妹が居て、兄弟、みな山手生なんだ。 
次回は、追悼文のもうひとり、卒業生の文を、全文を掲載する。  

全卒業生中で、その追悼文を依頼されたのは、
驚いたことに、オイラの妹のリエだったんだ。 

「9月17日がまたやってくる・・」へのコメント

師匠が 最も誇りにしている人物の一人。 山手学院の江守先生は会ったことも無いオイラも師匠のブログからほとばしる物凄く優れた教師であることは容易に理解できる。 今このような先生がいるのだろうか? 先生の教えを素直な心で受け止め 何時までも心の そして生き方の基準にしている教え子がいっぱいいる様なーーー。何事も全人格を赤裸々に皆に投げ出し 心のそこから 真正面からぶつかってくれる 大人がいた そんな 時代 人にめぐり合えた師匠の仲間達が うらやましい。『Nver Never Nver Give Up』 次回のブログ楽しみにしています。妹さんのリエさんに感謝。

先生のブログを通じて知る江守先生に憧れて止みません。 私も教師のひとりとして、手がける生徒達をとことん愛し信じ続けることをここに誓わせていただきます。 これからも江守先生の魂をどうぞ伝え続けて下さい。

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2012年9月8日

         

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