2組、素晴らしいですね。
青木先生、そしてE君も。
あの日・・こどもの国
K君というとても貧乏な子が、オイラ小5の時に、
転校してきたんだ。K君は、どういう事情なのか、転校ばかりしていた。
オイラ達の富士見台小学校にも、「一年もいないだろうけど、みんな仲良くね」って担任の青木先生が、言ったのを覚えているよ。
K君は、字を書くことも、話すことも、苦手で、当然、勉強は全くダメ、運動はと言えば、跳び箱でもの凄いずっこけ方をして、みんな大笑い。
いつも同じ服で、当時、毎月、給食袋と言われる給食のお金をもって来たことが無かったんだ。
でも、給食の時間だけは元気で、休みの人の分までバクバクよくたべてた。腹減ってたんだな・・・
でね、当然のごとく、イジメられるんだよね! なかでもE君はボス格だったので、「給食のお金持ってこないくせに、おかわりしてんじゃねー!」 ってコッペパン取り上げたんだ。
みんなも、当然オイラも、日頃から、
「そりゃーそうだ」ッテ思ってたもんだからさ、なんか、その時のEの行動を容認したんだよな・・。
そうしたら、当時まだ27か28の青木恵美子先生が、Eに平手打ちして「イヤシイ人間になるな!!」って・・
思わず目があったオイラにも、
「見てて楽しいのか!!」って・・。
グサリと来たよ。
いつもあんなに優しい青木先生が、ああも毅然とくるなんて・・。
次の日、E君は、母親と共に、職員室に来たんだ。
殴り込みに来たのではなく、「よくぞ、息子を正してくれた」とお礼を言いにきたんだって。 これが、本来の姿だよな・・
Eも、直接、K君に謝っていたよ。
それから、ほどなくして、5年生最後の遠足とかで、「こどもの国」という、ところにいくことになったんだ。今は、あるかどうかわからないけど、当時、定番の所があったんだよ。
おっと、今、ネット見たら、あったあった(^o^)
K君は、「その日は、お腹が痛くなるから行かない」って言うんだ。
なんだそれって、思うだろうけど、
要は遠足代3000円くらいだったかな・・出せないんだ。
みんなすぐに、わかったよ。 そうしたらね、Eがさ、オイラと、S君にこう言うんだ。
「僕がKにお小遣い寄付するけど、笑わないでくれ」って・・それで、次の日、300円くらいもって来たんだよ。
いくら小5でも、ヤツの気持ちにグッと来たオイラやS君も、そしてその流れが、5年2組のクラス中に伝染した。
それでも目標額に届かず、Eを筆頭にが職員室の青木先生に
「まけてくれー」って直談判にいったんだ。
青木先生は目をパチクリさせて、「わかった、あとはせんせーに任せて、ありがとう」・・と。
たぶん、足りない分は、青木先生が出してくれたんだと思う。
K君は、びっくりして、初めは、断ってたけど、みんなの
「一緒に行こう、一緒に行こう」のシュプレヒルコールの波に押し切られて、行く事になったんだよ。
バスで行ったんだけど、当時、仲の良いもの同士が隣同士で座る慣習があったんだね。 それでね、
K君は、誰と一緒だったかというとね、
一緒に行こうっッテ誘ったときにEが、「お前ははおれの横な・・」って・・。 Eも単なる、やんちゃではないんだ。心に温度があった!
その、「こどもの日」の出来事は、K君にとってもオイラ達5年2組にとっても、もちろん青木先生にとっても、忘れられない一日になったよ。
クラスが持ち上がりで6年2組になったとき、
K君はまた引っ越し転校していった。
「いままでで、一番、にほん一番のくらすだった」と、たどたどしく別れの言葉を発していた。
あの出来事を期に、2組はよくまとまっていた。 1組の斎川先生からも3組の野村先生からも、2組はお手本だなどとおだてられ、先生が2組の授業とか見学に来てたんだよ。
まあ、そんな事でさらに絆が強くなっていった。
それから 半年ほどして、 青木先生からK君の近況を聞かされたよ。
転校先の学校では、またイジメにあっているらしいんだ。 でも、明るいらしいんだ。
担任の先生に、前の学校(富士見台小学校ね(^_^)v)の話ばかりするんだって。 そして卒業文集なんだけど、
通常、卒業する学校での出来事を書く。
まあ大抵は、「楽しかった日光修学旅行」ってことになるんだ。 あっちの学校の担任も、「うちの学校のことを。」って
何度も、言ったらしんだけどね、
でもK君はこの一点だけはとても頑固で絶対に譲らなかったんだって。
それは「こどもの国」という題名だったそうだ。
今、こうして綴ってても、そのことを知らされた、
あの時の2組に流れた時空をオイラは、忘れない。
すべては、青木恵美子先生の毅然とした態度からだった。
2組は、恵まれていたんだな。
体当たりで、こどもの旅立ちを支えてこそ、教師、教育者ではないのか?
連日放送される、いじめ問題に対応する
無表情な教育委員会、教師・・に、
2組担任の、 あの、若き女性教師
青木恵美子先生にあった温度が見えない・・・
「あの日・・こどもの国」へのコメント
米国・英国で大津市と同様の事件が起こったならば、関係者は多額の賠償金を要求され、いじめた児童への暴行事件さえ復讐の名の元に行われていたかもしれません。
日本人が、きわめて特殊な考え・・つまり、加害者の人権が優先され、被害者や被害者の遺族がどのように感じるかは関係ないとする考え方・・・にとりつかれるようになった理由は・・・
戦後GHQによる「ウオーギルドインフオメーションプログラム」
による、日本人への徹底的な洗脳工作があったと言われています。
米国が日本が復讐・報復への国民感情にならないように、
骨抜きにする体制をひきました。
GHQの下請け機関といて設立された日教組。左翼やGHQへの追従者ばかりにされた大手メディアなどが、復讐=悪であるという概念を、日本人に戦後67年間、ずっと毎日刷り込み続けたという背景もあるでしょう。
古き良き伝統を放棄させられた日本の戦後教育。
伝統というものは、人が人として生きるために、さまざまな制約や制限を人に課します。
ひとりひとりが、その制限を守るから、住み良い社会ができあがる。
そして、人道に反した振る舞いをする者に対しては、敢然と立ち向かい、非道をただす。
それが、あたりまえの人としての生き方なのではないかと思うのです。
地域に根づいた品格ある父兄の良識は
長幼の序を子供たちに根付かせ、凛とした教師の姿勢は
子供たちの素晴らしき友情を創りあげる事となったのですね!
品位・品格を浸透させた地域の先人を尊敬して止みません。
とても、感動しました。
三つの、コメントにも、温度を、感じ胸が締め付けられました。
オイラの回りにはいつも、素敵な人で、いーぱいなんだなー。
わたしも、そんな一員に、いつかなりたいな。
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2012年7月20日
最近の小さな子供の 自死の悲しいニュース。 社会の大きな問題として全ての人が真正面から真剣に対処しなければならない問題。
ネットの普及した時代 関係の無い同僚を 関係者の親にしたて 職場での日ごろの ストレス解消の為に名指しで公にし真実を理解していない他人が電話を掛けてきていやみを云い仕事にならない被害者が続出らしい。
経済だけ 金儲けだけ に心を奪われ 寄付は集まるが 寄付をすれば 済み それが自分の意図どおりに使われたか最後まで見届けない 報告しない お礼を言わない そんな面白くない日本になってしまった。
こんな現象も 今回の教育委員会 学校 市長の対応と同じ。
被害者の親は 子供をなくした上 見方の無い世界に掘り込まれる。 これが、現在の荒廃した日本の社会をあらわしている。
オイラも力なく 立ち上がり意見を云うことも出来ない弱虫になってしまった。
師匠は 心の中にすばらしい宝物を一杯持っている。
今までの人生 前向きな良い出来事を 一杯手にしているなんてすばらしい。
辛いことも一杯経験しているだろうに それよりも すばらしいことを大切にするように育てられ 育った 師匠の人生は、『前向き』『チャレンジ』『諦めない』これは ワクワク ドキドキする 理想の生き方に向けて進んでいる。 オイラは 良い師匠と出会えて 最高にラッキー(お父様もお母様も思いやりのあるいい人だからなのかもしれない)