T大哲学科のひととき

T大哲学科のひととき

123652306182116116950_DSC04050.JPG 今日は、ちょいとオイラの、T大の先生に教えてもらってる
「哲学・ハイデガーの存在と時間」の風景をお届けするね。  
「学問は哲学に始まり哲学に終わる」と言われるので、まあ一生のうちに一回くらいは先生について学んでみるか・・という、
例によって軽いノリで始まったこのオイラの
“深い人間になろープロジェクト・・”
  あちゃー!!!  思いのほか難しい・・・
説明されればされるほど、わかんねーっす! P1070057.JPG ハイデガー中心に、他のの哲学者ともリンクするので、オイラにはもってP1070061.JPGこいの、授業だって思って、お願いしたんだけどさー!  いやいや  わざと、難しい言葉を使っているとしか思えないんだよな・・
ブログの掲載許可をもらおうにも、
「いいのか、わるいのか、今でもわかない言葉で煙に巻かれたよ」
授業前に写真許可はもらったから、写真だけでこの雰囲気察してくれーい!  生徒さんは10人チョットなので、いくら難解でも、
寝れないよね・・(>_<)   しかも、オイラの場合、
むりやり途中から、混ぜてもらったんで、他の生徒も、
どんだけ優秀なヤツがやってきたのかと、
好機の目で見やがるんだ(T_T)・・・デカイ・ペンダント付けていたのが、火に油を注いだゼー!!!! 
 
P1070062.JPGどうやら、T大では哲学をやるからには 、発祥の地であるソクラテスの
ギリシャ語が出来ることが必須で、今回のハイデガーはドイツ人なので、ドイツ語も必須なんだって!  原書で「存在と時間」を読むようにと・・ 
 このどちらの言語も出来ないオイラは「ドイツ語もできませんかー」とあきれられたよ・・トホホ・・
 P1070064.JPG「この世の中に、哲学書を、ドイツ語で読めるのが当たり前なのは、オタクの大学の
哲学科の生徒さんぐらいなもんだって・・」・・と反論したかったけど、 
ここは黙って、 屈辱を受け入れてさ・・
  「まあいいさ・・屈辱が、やがてオイラのエネルギーになるんだ」
「オイラのヒストリーは小学生のころから屈辱のヒストリーさ」  

小学校の頃、オイラばかりを、いじめる3人組がいたんだ。  ちびで、
ひ弱なオイラは、ケンカが弱いから、いじめられても反抗できない。 
するとマスマス、やつらは調子にのる。そんなとき、オイラは、
TVでスッポンの話を聞いたんだ。image.jpeg「一度噛みついたら、雷が落ちるまで離さない」ってあれね!
 早速、次の日、オイラは、3人のうちのボス格のUの腕に噛みついたP1070066.JPGぜ・・泣きながら噛みついて、絶対に離さず。img_1600955_49880223_5.jpeg
   仕舞いには担任の先生と、保健の先生がやってくるわで、クラス中、大騒ぎ・・・・
 Uとオイラは、校医の「城戸外科」に連れて行かれたよ。 ハハ・・そうオヤジの所だ。  オイラも、オヤジに
「友だちだから、タダでナオしてやって。。」とか 、意味不明なことを、言ってたらしいよ・・ どうやら、小さいときからトンチンカンだ・・
 image-1.jpeg以来・・オイラをいじめるヤツはいなくなったよ。 このとき、”いかに歯の力が重要かわかり、オイラが歯医者になった”って、言う話を、同級会で言われた事があるけど、それは全くの、デタラメね!   
だれかが面白がって、勝手に創作しやがっただけね! 暇なヤツがいるもんだ・・
ただ、このスッポンの出来事は、とてもオイラには大きかったんだ。
やられっぱなしでは、何も生まれない・・・
10対0で負けていても、1点でも取ろうとしなくては、次の試合は、ないんだ。  同じ負けでも「意味」が違う。
そう感じた日。

さて、今回のレクチャーのテーマは「神の存在」
 514C75KTRGL._SL500_AA300_.jpgドストエフスキーの小説、「罪と罰」の
主人公ラスコリーニコフが思ったように
「もし  神がいないのなら善も悪もない」という事態に、直面してしまうのだ。善も悪もない
なら、人はどう生きれば、いいのか。
ラスコリーニコフのように、
「ひとり殺すことで、100人が救われるなら、それでいいと」合理主義で
わりきれるのか。  人は、かつては神のために戦争をやっていたが、
220px-Klodt_Michail_Petrovich_-_Raskolnikov_and_Marmeladov.jpg今は、「民主主義の普及」を理由にして、
戦争をしたりしているよね。
 ここで問題は、人間は合理主義だけでは生きづらい生物だってことだよな。   ラスコリーニコフも、結局は、老婆を手にかけた重荷に耐えきれず、聖書に魂の癒しを求めるようになっていった。 
 ようするに、合理主義は、実は神といった、非合理的な存在ほどには人を癒してくれないんだ。  この問題は、今も解決されず、ひきづっている。 
フランス人のヴォルテールはこのことを、もっと皮肉って言っているよ。
 
「もし神がいないのなら こしらえなくてはなければならい」と。(^^;)
  
image.jpeg「世界に正解などない。 まして、それは与えられるものではない。 
  自分自身の命を、世界に投げ出し、挑む者にだけに、それぞれ固有に現れ
るのだ」
          マルティン・ハイデガー
  
なんだか、わかんないけど、とにかくオイラも、
オイラ自身の正解が現れるように、進まなきゃ!

「T大哲学科のひととき」へのコメント

ヨクゾ 哲学なんかに 挑戦するなぁ?と思っていたら
案の定1日目から大苦戦 
目の付け所は最高だと思うんだけれどーーー。
哲学は人間の存在論  精神の在り方を追求する学問 
精神論 或いは 人と神の対決の解明学のような
感じの古典学問
結論があるようで 結論が無いようで 
西田哲学も和辻哲学も言葉の遊びにしか聞こえなかったボンクラ学生だった事を思い出したね
それでもオイラはチョッピリ好きな授業だったけれどね。 
手こずった授業の一つであることには間違いなかった昔を思い出すね。
師匠が パーマン以外にも スッポンでもあったんだ。
食いつかれないように 気をつけなくちゃ。 
スッポンは 鍋にするとおいしいんだそうな。 
役に立つよなぁ?。
ハイデッガーとオイラ達の師匠 今の挑戦に正解なんてあるのかな?
自己納得なんて事はあるような気はするが文科系の学問だからね終わりなし?
でも、進んでみないと やってみないと わかんないもんね! 諦めないで!! 

近代哲学の巨星とは言え、師匠がハイデガーを勉強してみよう!
と思った理由が、日常生活のどこかにあるものと推察します。
 現存するシチュエイションに対峙する答えであったり
心構えを‘知る’ために学んでいるのではないかと・・・
 哲学と「決断」「原理」を置き換えて話し言葉で使ってみると
何となく相似しているように思えるのです。
 自分の現況の解決のため自己の「概念」を使い
 哲学の門を開け
それはたった一つの「原理」の発見かもしれませんが、
きっと師匠の事ですから新しい「決断・再出発」をされるのでしょう。
 この問題は正しい答えが出る問題か?
 人間や社会の問題はあまりに複雑です
 そうした中で自分なりの対処法(決断の原理)を導き出せれば
素晴らしい事だと思います。
 一度自分の中に「原理」が入ると忘れられない・・・
 そんな経験に基づいた基準って誰もが持ってますよね!
逆に経験から得たものじゃなければ納得できないのではないでしょうか?
 『深い人間になろープロジェクト』
続きをヨロシク 
 
 

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2012年5月20日

         

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