Choice (選択)
オイラは、公言している様に、芸術関係の才能がある人にメチャクチャに憧れるんだ。 それは、もうオイラ達ボンクラが、どんなに一生懸命やっても、そのシッポさえ捉える事もできない、神様からの贈り物を、彼らが持っていると、考えるからなんだ。
画家と音楽家はその両巨頭だと思っているよ。
そのすぐ下に小説家がいて、そのまた下に、演劇と映画芸術があるって、オイラは、勝手に位置づけているんだよね。 かなり独断ね^^ 小説が、映画より上なのは、よく、小説だったものを演劇や
映画にすると、全く別の作品になってガッカリすることが、殆どだからなんだ。
完全に娯楽という位置づけなら、演劇の
方が映画より遙かに面白いな・・・・
「芸術なんて、すべて娯楽だろー」って言う人は、それはそれでいいんだけど、オイラには、違うなー。 絵画、音楽、小説の事は、またにして、
今日は映画の話ね! 映画に関しては、現在劇場に出向いて観るってことは、ほとんどないなー。 それほど観たいと思う作品に巡り会わないんだよな。 加えて、オンデマンドや、DVDの発達がそれに輪をかけちゃってるってところかな! 上映中の「マーガレット・サッチャー」は観てみたいとも思うけど、スケジュール調整してまで、実行には移さないものなー。
「好きな映画、感動した映画、お薦めの映画はなんでしょうか?」なんて言う問いが、ネット上で、溢れているよね。
学生時代はよく映画館にも足を運んでいたから、オイラにもそういった作品
はあるんだ。 洋画と、邦画はかなり性質が違うので今回は洋画に限定するね、
その中で、唯一娯楽性を超えて、未だにオイラに影響を与え続け
て居る作品が1本だけあるんだ。
この映画は、好きな作品でもなく、感動した作品でもないし、まして後にひくエンディングで、とても人に勧める様な映画ではないと思っている。
でも、DVDでも保有しているので、今も、年に数回、観ているので、相当な回数観ているんだ。そう、今だオイラにかなりの影響を与えているんだ。
それは 「ソフイーの選択」・・・。
映画の中で、ソフイーは大きな2つの選択を迫られる。 どちらも究極の選択だった。
そのひとつが、 アウシュビッツ強制収容所の入り口・・・
「アウシュヴィッツの駅でナチの将校が、ソフイーと二人の子供の前に来て、子供を1人だけ手放せと迫るんだ。。出来ないと言うと、将校は,では2人とも焼却炉行きだと冷たく言いはなつ。無情な選択を迫られ、
ついに年下の娘を連れてってと叫んでしまう」
娘は、将校に奪われ、「マミーマミー・・・!」と叫び続ける。
娘は抹殺され、助かったはずの長男とも離ればなれにされたソフイーは、大きな十字架を背負って生きていくんだ。
この場合、何を選んでも、また選ぶことを拒否しても、すべてが地獄の選択だった。 物語の最後は、ソフイーの目の前に降りてきた、幸せへの最後のチャンスの選択を受諾できずに自殺してしまう。
アカデミー賞作品・主演メリル・ストリープ ただ日本語版のDVDは、複雑な事情から映倫からOKが出ず、発売されていない。 オイラも米国から送ってもらったよ。 アカデミー賞作品だぜ・・不思議だよな。
オイラは、もちんろん、みんなもだけど、
毎日毎日、選択をして行かなくてはならない。しかも瞬時にだ。 つらい分岐点も有ると思う。
オイラはいつも、どんな 辛い選択も、
「あのソフィーの選択に比べれば、なんてことはないんだ」って オイラ自身に”問いかけ”続けているんだ。
死は孤独かもしれない。
しかし生きているほど孤独ではない。
だから 死を恐れることはないんだ。 その時が来たら
雨が上がるように静かに死んでいくまで・・・
そして さよならは 言われる前にオイラから言うさ。
まあね・・・・・決めるのはオイラさ・・・!
「Choice (選択)」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2012年4月20日
今回のブログ読ませていただいて、調子が少し違うように 感じ
コメント 感想がスムースに湧き出てこなかった。
アウシュヴィッツをテーマにしたものは 心が重くなる
ある人種を抹殺することを 目的に行動をしていた集団だから。
決断は、他人でなく本人が出来るのが理想的ではあるが
病院に入院している立場の人たちは 師匠のような態度が取れないんだよね。
一日の生活パターンが 個人ではなく 病院の制度で決められているから。
今 食べたくなくても 食事は何時から 患者の状況なんて関係なく 検温は何時に
薬は看護師さんが強制的に持ってきて 薬の内容も告げず飲まされる
全くそこには自由が無い。病人といっても 人間なんだぜ!
アウシュヴィッツの収容所のようなところかもしれないと考えることがあるよ。
時間が来たら消灯 今日は気分が良いから少し本でも読もうかと思っても出来ない。
機械的に事を進めるとこんな状態になるのではないか?
師匠のブログの最後の言葉のようなこと 不可能かもしれないと 思う今日この頃。
ホスピス病棟でも あまり 変わりないみたいだしーーー。