孤の力

孤の力

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“孤の力”  サッカーで言えば、チーム力より個人技・・・これこそ取得すべき力だ。 よくプロ野球でも、

『チームプレイに徹しました。 個人成績はどうでもいいです。』 なんてコメントする選手がいるけど、まあ、信用できないね! 

 それなら 落合博光のように『ナイン全員が個人成績を追い求めれば、負ける要素がないでしょう』 『プロ野球は、仲良しクラブの集まりではない!』とする野球観の方が、よっぽどスッキリするよ。 「孤の力」は「 個の力」を含むけど 

「孤立、孤独に耐えうる力」こそ、真性の力だ、と思うョ。

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人が、トテツモナイ苦境に立たされたとき、それは、ロッククライミングで、ツナが切れて、急斜面の岸壁に片手だけを岩場に懸けた状態に等しい。 

そんな時、家族も親友も助けてくれない。 助け得られないんだ。助けたくても・・・・・

遥か下方で、あなたを見上げながら、心から応援し、祈ってくれたとしても、実際は助けられないんだ。 それはね、人は、誰だって、苦境に立たされれば、他人に救いを求めたくなる。そんなときに、ヒーローのごとく颯爽と現れて、

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直面している、あなたの悩みから解放してくれる救世主なんて、現実に、いるのだろうか。

 否、そんな都合にいいヒーローが、いるならならオイラも、仲良しになりたいよ。 応援どまりだよ。 実際は、本人しか手が届かない状況になるんだ。

 助けたくても、助けられないんだよ。 こういう状況こそ、現実の映像だ。

そんなとき、ピンチを乗り越えるのは自分自身。苦しんでいる自分を救ってくれるヒーローは自分だけなんだ。 家族や親友は、祈るだろう。手が出せないからこそ、本気で祈るだろう。

でも、何を、祈るのか・・・それは、 「あなたが、そのピンチを乗り切れるはずだと、あなた自身の才能に祈っているんだ。」 

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 それに、応えられなくてどうするんだ。

   苦しみはひとり、いつだって、ひとり ひとりで乗り切る・・!

 このことを 心臓に刻むことが大切だ。・・・ 

 間違っても、土壇場で、自分のために、「神様 どうか助けてください・・」なんてやってしまってはいけない。  自分で祈るようになったら、人間も、終わりだ。

 祈るのは、家族であり親友に任せておくんだ。

 神様だって、いちいち困ってい

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る人を全員救うほど暇じゃあないよ。  

  だからこそ、「孤の力」を磨かなくてはならないんだ。

  人生なんて、戦いの連続・・・・・

 でも たとえ 勝つ、にしろ 負けるにしろ オイラは 

   オイラとして勝ち、 オイラとして負けたいんだ。

  一番恐れるのは 「オイラがオイラでなくなること」 

 

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世間一般に認められている価値より、自分への 「こだわり」に重きを置きたい。

 それが 矜持であり プライドであり DIGNITY だと信じている。

その思いさえぶれなければ、 仮に失敗しても、強く張っての失敗なら、全く問題ない。必ずやり直せる。  

 そして、自信を、もってやったこが、その道の専門家から、

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全く評価されず三流扱いされても、堂々と、言い返せる。

 「OK 三流で・・ 熱い三流なら上等よ!」・・・と。

それでは、どうすれば 「孤の力」が身につくのか・・・

オイラにも答えはわからない、でも、 インドの有名なおじいさんのことばが、その答えにかなり近いと、オイラは思っている。

 Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

「明日死ぬかのように思いっきり、生きろ。 永遠に生きるがごとく貪欲に学び続けろ」

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「孤の力」へのコメント

今日も大切な人間の生き抜く姿勢を説いていただき心を強くいたしました。
自分の周りの 自然界の生き物の世界を見つめていると 解かる事。 
動物も 植物も宇宙に存在するもの皆 自力で頑張り 生き抜いている 
生きている期間の長短は有れども 自力でなんだ。
 食う力の無くなった物は 動物、植物に関係なく生命の火は 消えていく。 
生きているなら 失敗なんて 人生にとっての最高の経験 他人が評価することではないし 気にしなくてもよいのでは。
 オイラが思うには 自分の中で 問題が小さな内に 真剣に対峙し 解決しておかないで 先送りすると どこかで 必ず再開する その時は 何倍ものエネルギーを費やして 乗り越えないといけなくなっている。 
心のどこかで気にかかる事が あったなら その時その場で全力で 納得する解決をしておくのがベストかと。
現代人は 師匠の言われている 『学ぶ』という言葉を狭義に理解しすぎているのではないだろうか。 
幅広く 大きな 意味が込められた言葉 学びには 卒業がない。

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カテゴリー:院長ブログ  投稿日:2012年2月1日

         

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