登る坂道 3
そんな江守先生は、79歳の時、他界した。 オイラも当然駆けつけたよ。
もの凄い数の卒業生達が、涙をこらえて参列していたよ。
横浜の教会でのあの日のことは、オイラは決して忘れられないんだ。
弔辞を当時(現在も)学院で教職にあたっている先輩の土屋直文先生が、
手を震わせながら読みあげたよ。 土屋先生が 「江守先生と、第一声が発した
た瞬間から、オイラ達は泣き崩れてしまった。 教会中・・「先生 先生先生先生・・・」っとずっと、とまらなかった.みんな、一斉に棺の前に押し寄せて、泣き崩れていたよ。
オイラは封印していたあの時の想いが,一瞬
にしてその時繋がってしまった。
きっと、オイラだけでなく、一人一人に,オイラにしてくれたみたいに、言葉をかけていたんだろうな・・当時、色々
問題があって1学年70人くらいしか居なかったし 、みんな、江守先生の背中を見つづけて来たもの。
土屋先生が 「ここにいる先生の教え子である私たちは決して先生の”Never Never Never Give Up“
精神を忘れません。見ていて下さい。見守っていて下さい。」
と結んだ。
あの空間はホント不思議な空間だったよ。 あのときの温度、匂いすべて記憶しているもの。
だから、だからこそ オイラのモチベー
ションは落ちないんだとそう思っているよ。見えないチカラが働いている。
オイラには2歳違いの同じく山手出身の弟がいるんだ。
その弟はオイラよ
りアホ(^^;)なのに東大理1目指して3浪したんだ。
結局九州の国立大出て日立のエンジニアになっているんだけど、浪人を繰り返す,弟に、たまりかねた母
親が、「なぜ東大?にこだわるのか?って真剣に尋ねたことがあるんだよ。」
弟はひと言「江守先生と約束したんだ。」、「誰になんと言われようと、江守先生
だけは喜んでくれるはずだ」って、 オイラにはその気持ち、とってもわかった。
やりたいようにやればいいさ。
弟も坂道を登ること
しか考えて無いんだなって、思ったよ。
それにしても奴もやたらと沼地の多い坂道を登っているんだよな、
でも、あの感じだと、下ろうとは、しないだろうな・・。
それに、
それは、江守門下生
にはありえないことだから。
オイラもまだ まだ、江守先生との約束を成就出来るとこまで行ってないし、
まだまだ修行(T_T)して行かなきゃだよ。
日本
が、世界がどう動こうが、
『登る坂道を下ることはしない』
そう 自分で決めてしまったから_・・
この一点さえブレナケレバ必ず、視界は開けて行くと信じている。
「登る坂道 3」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2011年8月18日
感激の3部作。『ぶれない』師匠の根底に江守先生が言われたことが脈々として生き続けていることが これまでの『ブログ』の中に読み取れるよ。作家をあきらめていない 姿が 後ろから江守先生が『キド ぶれないで やっているな。忙しくてかけないなら 私が後ろから背中を押してあげるよ』そんな声が感じられる。いい時期の山手学院で過ごした兄弟 いいな!うらやましい。