致死率100%
「人間の致死率は100%だ」 もう、これは紛れもない現実であり、事実だよね! なのに、なぜか日常生活では「死」は、あってならないものになっているんだ。
これってなんか、変だよ。 おっと、なんでオイラがこんな事、急に言い出したかと言うとね、前号オイラブログの続きで、宗教についての、
オイラ的見解ね!
オイラもそうだけど、日本人に 「あなたは、どんな宗教を信仰してる?」って質問したとするよ。答えの7割以上は『無宗教』って事になる。
でも
この 『無』は 仏教の『無』であって、諸行無常の『無』が、そう仏教的な『無』が、
日本人にはすり込まれている。
実は、このことは、解剖学者の養老孟司さんが言っていた事なんだ。 やけに、オイラにしっくりきて、「それだよ」って思ったんだよ。
だってね、欧米で、「無宗教」なんて言ったら、「アンチ・キリスト」のことになっちゃうよ。 日曜日の朝に礼拝に行く習慣がある国々だもの。まして、イスラム圏で、「無宗教」なんて言ったら、「反宗教」という事で、もう一大事だよ。 1日に5回お祈りする国だもの。
日本には「神道」という、とっても貴重な文化がある。
神道では 自然というのは何が起こるかわからないから神に”お祈り”するでしょう! 「あー神様 助けて・・」って・・
それに、お正月には神社に行ってお参りしたり、お守り買ったりするもの。
日本人は決して宗教心が無いって訳じゃあないんだと思うよ。
作家のC.W.ニコルさんが、「日本に来て一番良かったのは、宗教からの自由だ」って言っているんだ。
「信教の自由」でなく「宗教からの自由」だよ。 なんか面白いね(^_^;)
キリスト教圏だと、やっぱり日曜日には教会に行かないと後ろめたい気分になるらしいよ。 その点、日本に来たら、他人の信仰が、どうだろうと、気にしないのが楽チンだってさ。
キリスト教やイスラム教は、死んだら「最後の審判」があって、天国行きか、地獄行きかに振り分けられるって、死生観だ。 これが、日本人にはどうも、合わないンだと思う。
仏教では「無我」って言うように、
「私なんて無い」 と言う立場だもの。
今生きていることだって かりそめに過ぎないと言う立場だもの。
まあ、といっても、キリスト教やイスラム教の、清貧であれば、天国にイケルから、現状に文句を言わずに死後の世界を夢見ると言うのも、精神の安定に、特効薬であるとは思うよ。それはそれで、偉大だからこそ、世界の宗教として君臨しているんだと感じるんだ。
ただオイラは、先の養老さんと同じ感じ方・・
「死んだらおしめーよ」と思う。
日本人の多くもそうだと思うンだ。
「死んだら極楽浄土に行ける」って本心で、思うなら、医療費なんて、使う必要がないよ。
日本人ほど最後にあれだけ医療費をかける国民も世界的に居ないそうだ。
「致死率100%」 死に方を、考える事は、生き方を考える事とイコールだ!!!
オイラ達は生物だ。 年をとれば、顔にしわが出来、髪も白くなるやら、無くなるやら・・その先に誰にでも死が来る。 まあ、そういうことだよ。 ジタバタしても仕方がない。
時が来れば、「さー殺せ」って心境になるときが100%やってくる。
でも、幸いなことにさ、死んでしまえば、もうあれこれ悩む必要は無くなるよね!
最後のご褒美なのかな、これって(^_^)v
でもこの、日は 神様だけが知っている・・・
それまでは オイラの自由意志で,
とことん、シ
リアスに・・とことん オチャメに ガッツリやるさ!
「致死率100%」へのコメント
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カテゴリー:院長ブログ 投稿日:2011年11月27日
時間の長い短いはあるにしろ形のあるものは、いつか消える。物質に執着することは 本当にそれほど価値のあるものなのか? でも学問は執着心が無いと研究が先に進まないけど。まあ、この世の中生きているもの全てが必ず公平に死ぬ。だから、いつ死ぬかを怖がっていないで、生きている今を大切な時間として己の心に従った事を真剣にするそれが一番幸せなんだろうなとオイラは思って実践しているよ。一日の終わりの時間に感謝の気持ちが湧いて来るまで瞑想してから休むのが日課。愚痴や、嫉妬心や、妬みをこねくり回しているより 実行して自分の心がすがすがしくなる、そんなことを、残された時間精一杯やることかな?もっと違った方法もあるだろうけれどーーーー。